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トランスジェンダー。差別、自殺未遂から幸福へ
¥7,700
【私が話せること】 ●大カテゴリー ・トランスジェンダーとして生きる上で、「何を変えて」「変えないのか」「どんな選択ができるのか」 ・トランスジェンダーという人生をどう受け入れるか ・カミングアウトする際、された際についての悩み ・トランスジェンダー当事者の家族や、周囲の方ができることは? ・自分がトランスジェンダーかどうか分からない ・性別のことでのお悩み全般(男らしさ、女らしさ、など) ・性別以上に、自分の感じていることを大切にする生き方は? ●小カテゴリー ・ホルモン注射、手術、戸籍変更(氏名・性別)、するかしないか ・転職活動、仕事でのストレスを減らすためにできること ・健康診断、更衣室、トイレ、風呂、服や靴など、困らない工夫はできる? ・パス度を高める筋力トレーニングの方法 ・親・友人・職場・転職時の面接官へのカミングアウト ・差別やいたずらメールへの対応と、メンタルケア みなさん、こんにちは。 僕はトランスジェンダーです。女性の体で産まれましたが、今は男性として生きています。必死で生きてきた40年超、いろんなことがありました。よくここまで生きてきたと思っています。僕の話が少しでも皆様の役に立てればと思っています。 色んな事があり過ぎで、どこから話せばいいのか悩みますが、生い立ちを書いてみます。 僕の幼少期は、今の時代のようにトランスジェンダーに関する正しい情報はなく、僕が母に男の子用の靴や服を欲しがったりしても、当然ダメでした。髪形も同様。苦笑いや困り顔をよく覚えています。自分はおかしいんだ、自分が感じていることは変なんだと思うようになりました。 一番辛かった時期は、身体的な変化があり、それがもう変わることがないんだと知った高校生あたり。何度も死にたいと思うようになりました。ある日高いマンションの階段から下を眺め、もう死のうと思ったのですが、結局死ぬことができず、であればもうそういったことを一切なかったことにして生きようと決意しました。女性として生きれば、誰からも変な目で見られない、親も不幸にしない、自分も傷つかない。楽に生きればいいんだ、と頭で決めて、心は一切感じないようにしました。 そうして女性として生きていく覚悟と諦めの中で10年ほど経ったある日、友人から「今度○○(女優)が出るドラマは、心が男の子の役なんだって。」何気なく聞いた話に、心臓が飛び出るような思いでした。普段ドラマなどまったく見ない生活でしたが、導かれるようにそのドラマを観ました。そしてはじめて、世の中にはトランスジェンダーと呼ばれる人がいて、それはおかしいことではないのだ、自分もそれなのかもしれない、と思うようになりました。ドラマを見ながら涙があふれ、自分が過去に感じてきた苦しみはこういうことだったのかと理解できました。ただそうはいっても、一体どうすればいいのか、誰に相談すればいいのか、自分が今後男性として生きていくことなんてできるのか、今までの人間関係はどうすればいいのか、疑問と困惑と戸惑いだらけでした。 しかし一度開いてしまった感情。もう見ないふりをすることは不可能と感じました。少しずつ、当事者のいるイベントに参加をしてみたり、本を読んだり、友人にカミングアウトをはじめました。友人は受け入れ応援してくれる人が多かったですが、時に誤解と偏見をぶつけられたりもしました。それでも自分の本当にしたい髪形・服装を徐々に取り入れ、無理なく生きていくために模索し始めました。僕の名前は女性とすぐわかるものだったため、新しく名前を付けました。子供の頃から、自己紹介で自分の名前を言う時ずっと抵抗感がありました。初めは勇気がいりましたが、新しく知り合う人にはその名前で呼んでもらうことにしました。体はまだ女性のまま、男性の服装や髪形。街中でじろじろ見られることが増え、トイレも困りました。なるべく外出時にトイレに入らないようにしたり、男女兼用の個室のトイレがある所をわざわざ調べていくようになりしました。 親へのカミングアウトも、とても恐ろしかったです。言うべきか言わざるべきか何度も悩みました。彼らを絶望させるのでは?家から出ていけと言われたら?とても苦しくて、なかなか言い出せずに号泣。ようやく話すと、父が「分かった、そういう人がいるってことは知っている、自分の思うように生きなさい。」また号泣。母親は混乱していましたが、1週間後に私も大丈夫、応援しているとメッセージが来ました。この出来事は、自分に大きな安心感を与えてくれました。実は父とはずっと仲が悪く、何年もまともに話していなかったのですから、余計にでした。 仕事は以前勤めていた会社を辞め、面接時にトランスジェンダーであることを話した上で、通称名で勤務できるようにしてもらいました。ただ、体は女性なので、トイレや健康診断も女性。一部の人のみにカミングアウトをした状態でした。その会社にも6年いましたが、ある先輩からは、僕の気の弱い性格を見て、俺はお前が女だと感じると言われました。また信用していた上司に「生物学的におかしいのでは?」といった差別的なことを言われたり、「ちょっとお姉さん」と呼ばれたり、第3者と話すときに「彼女は○○」と言われたりしました。体が女性のままで男性として扱ってほしい、ということ自体、難しかったのだと思います。差別や偏見は無知から起こります。一つ一つ正面から戦うと疲弊しますが、隠れるのでも、逃げるのでもなく、自分としていられるあり方を今でも模索中です。 この出来事をきっかけに、戸籍の氏名変更の手続き、ホルモン治療に踏み切ることに。ホルモン注射は体質的に合わない人もいるのでやってみないと分かりません。始めると身体的な(嬉しい)変化が出てくるのですが、周りの人達との人間関係が変わる(カミングアウトをせずには成立しなくなる)ため、簡単な決意ではありませんでした。治療をすると同時に、今の職場をやめる事を決意しました。なぜなら職場全員にカミングアウトする勇気が持てなかったからです。 ホルモン注射は、声変わり、体や顔つきも筋肉質になる、ひげが生える、生理が止まる、などの変化が起きます。次の仕事は、戸籍は女性でも、男性として働ける場所を探すため、面接時にカミングアウトをすると決めて臨みました。ただでさえストレスの高い就活に更なる追い打ちをかけるようでした。片頭痛を発症するほど負担でしたが、なんとか就活を終えました。筋トレもはじめて、肩幅や胸板もついてくると、もう町の中で女性に間違われることもなくなりました。胸を取る手術も終え、戸籍の性別も2024年にようやく変更できました。 字数上書ききれていませんが、僕のブログにいたずらメールが数百通届くことが有ったり、10年弱お付き合いした彼女の親の理解が長いこと得られなかったりしたこともありました。長らくのメンタル不調で自殺未遂をして病院に運ばれたり、突発性難聴・睡眠障害や不安障害、数々の不調も乗り越えて、今では人生で一番心身の調子もよくなりました。メンタル面の回復に役立ったのは、心理学の勉強・マインドフルネス・ヨガ・筋トレ・そしてたくさんの人の支えです。 悲しいことばかり起きたように書きましたが、トランスジェンダーだと打ち明けることでたくさんの優しく暖かな応援の言葉を今もいただくことがあります。それだけ人と深く繋がることができています。僕の生きてきた経験が、誰かのお役に立てれば、こんなに嬉しいことはありません。 ・トランスジェンダー当事者の方(手術、戸籍変更、転職、仕事、健康診断、更衣室、トイレ、風呂、筋トレ、服や靴など) ・トランスジェンダー当事者のご家族の方(家族からの嬉しかった言葉・傷ついた言葉、当事者の気持ち・ご家族様ご自身の気持ちなど) ・職場など身近にトランスジェンダー当事者がいる方(職場での対応など) ・カミングアウトする際・された際についての悩み ・自分がトランスジェンダーなのかが分からずに悩んでいる方 ・性別のことでお悩みの全ての方(男らしさ、女らしさなど) ・トランスジェンダーとして生まれたことを受け入れられない方 自分がトランスジェンダーかもしれないと感じて、そうであったとしても、その上でどんな選択をして生きていくか、選択肢は無限にあると思います。変えられること・変えたいこと・そのままにしたいことは何なのか。どんな生き方が幸せなのかは、人それぞれ。 また、トランスジェンダー当事者もその周囲の方の関係も、ちょっとした理解や工夫で、無駄に傷つける・られることなく過ごせると思っています。差別や偏見はいまだに社会には存在していて、完全になくなることはないのかもしれません。ただ、苦しみを受ける分、逆に強い励ましや愛を僕はいただいてきました。トランスジェンダーは決して不幸ではないと信じたいです。 こんな僕が何かお役に立てることがあれば、どんなことでもお話しください!遠慮は不要です! 家族構成:父・母・姉 【ソウタロさんのブログ】 【トランスジェンダー古町奏Blog】*ヨガ*筋トレ*マインドフルネス*メンタル LGBT https://ameblo.jp/souyoga ●対応可能な曜日と時間帯 平日(木以外)/9時~20時 月水/20時~23時 日/23時~24時 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
30歳の医療的ケア児と生きる
¥7,700
【私が話せること】 ●大カテゴリー ・ダウン症児について ・全介助の脳性麻痺児について ・医療的ケア児について ・兄弟児について ・障がいを持つ子を育てながら仕事をすること ・40歳で保育士資格を取得したこと ・急性膵炎で生死をさまよった私自身のこと ●小カテゴリー ・十二指腸閉鎖手術 ・人工呼吸器(トリロジー)をつけながらの生活をサポートすること ・経管栄養について ・小さな成長の喜び ・障がいを持つ子との生活でも自分自身の楽しみを見つけること 今から30年前 念願の第一子はダウン症と脳性麻痺を持って生まれて来ました。 告知を受け私の人生は終わった、と人生のどん底に突き落とされ、それでも少しずつ現実を受け入れ這い上がる毎に、また新たな病名が見つかり落ち込む日々。 インターネットもない時代に手探り状態で長男を育てて来ました。 それでも長男は少しずつ育ち次第に私たちに笑顔を見せてくれるようになると、かわいいと思えるようになりました。 2年後には次男も元気に生まれ、双子状態の兄弟の子育ては大変だったものの、毎日がとても楽しかったです。 お陰様で兄弟児の次男はとても優しい子に育ってくれました。 今でも兄のことを心配しいつも気にかけてくれています。 そんな次男は現在私たちとは離れて暮らしていますが、次男の人生は彼自身の好きなように送ってもらいたいと願っています。 首も座らない全介助の長男を、地域のお友達のいる保育園に通わせたり、支援学校に通いながら居住地交流で地域の小学校にも定期的に遊びに行ったこともありました。 長男が同じ年の子どもたちとの触れ合いに喜んだのはもちろん、他の子どもたちにも長男と過ごした影響はあったように思います。 長男のお陰で私は40歳で国家試験に合格し、小さい頃からの夢だった保育士になることができました。 今では長男の通っていた発達センターで保育士としてお仕事をさせてもらっています。 人工呼吸器をつけながら毎日通所施設へ通う長男を見送り、その間に仕事へ行き子どもたちの支援をする保育士と言う仕事にやりがいを感じています。 とは言え この30年間、苦しい悲しい腹立たしい嫌な思いもたくさんして来ました。 体調不良で長期間入院することもあったし、救急車にも何度も乗りました。夜中に咳き込めばすぐに起きて吸引したり体位交換で2〜3時間ごとに起きる日々。 一晩中朝まで寝ることなんてほとんどありません。 30年間新生児を育てているような生活ですが、身体がそれに慣れてしまい今ではそれほど苦にはなってはいません。 もしも長男が障がいを持って生まれて来ていなければ・・ また違った人生を送っていたはずですが、私は長男がこの身体で私たち夫婦の元に生まれて来てくれたことに心から感謝しています。 何度も生命が危ない状態になった長男が、今も元気に私たちの側で笑っていてくれるだけで幸せだと思っています。 この未来アドバイザーのお話しを頂いた頃、福岡で7歳のお子さんの人工呼吸器を外してしまったお母さんの記事を読み、もしかしたらこのお母さんが日々の生活の辛さや未来への不安など、心にたまったものを吐き出せる場所があればまた状況は変わっていたのかもしれないと思い、烏滸がましいけどそれが私に出来るのであればとお受けしました。 医療的ケア児と言っても1人1人全く違いますが、もしも私の経験したことで良ければお話しさせて下さい。 そしてあなたの不安に思われていることや心配なことを、良かったら私にお聞かせ下さい。 遠くの誰かに話して気持ちが楽になることもあると思います。 よろしくお願いします。 家族構成:夫・私・長男(30歳)、次男(28歳、ひとり暮らし中) 【リルさんのブログ】 がんばれすいちゃん 〜医療的ケア児の息子が教えてくれるもの〜 https://ameblo.jp/keipika5124210 ●対応可能な曜日と時間帯 月水金/21時〜22時 土日/13時〜16時 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
小児がんの息子が遺したこと、親としてどう生きるか
¥7,700
【私が話せること】 ●大カテゴリー ・小児がん(神経芽腫) ・付き添い入院 ・きょうだい児 ・天使ママ ・離婚 ・中学受験や子育て ・今後の人生 ●小カテゴリー ・初発、再発、緩和、亡くなった時、亡くなった後のそれぞれの気持ち ・病気のことを本人や周りにどう伝えるか ・治療中でも後悔のないように楽しく生きる ・きょうだい児への向き合い方 ・シングルマザーでも子どもが病気でもかわいそうじゃない ・自分の想像していないことが起こった時、どう気持ちをもっていくか ・愛する子どもと強く生きる 私の宝物の息子は小児がんでお空に旅立ちました。 初発は5歳の時。 お腹が痛くなり、近所の病院へ何件か行きましたが、便秘やストレスなどと診断されました。継続して症状が出るので、大きな病院に行ったところ、腫瘍が見つかり即入院。 小児がんの神経芽腫と診断され、ステージ4(高リスク)、骨や骨髄にも転移していました。 標準治療といわれる、抗がん剤、自家移植、放射線、手術、免疫治療(治験)を行いました。 1年後全ての治療を終え、部分寛解で退院し、レチノイン酸を個人輸入して半年間飲みました。 その後、元気に過ごしていましたが、9歳の時に再発。 抗がん剤、放射線、臍帯血移植、手術、免疫治療などを行いましたが、13歳でお空に旅立ちました。 初発治療は、はじめてのことばかりだったので、とにかく本退院へ向けて、目の前の治療を順調に進めることで精一杯でした。 再発は初発とは全然気持ちが違いました。 神経芽腫は再発すると治す治療は確立されておらず、ほとんどの子が亡くなる。 自分の命より大切な我が子が、後何年かで亡くなってしまう。 初発の時とは違い、治療とQOL(生活の質)のバランスを考えながら、今という時間をどう生きるのか必死に考えながら生きていました。 我が子が亡くなる恐怖に怯えながらも、今目の前で生きている幸せを感じ、心の片隅に覚悟をしながら、でも希望は捨てずに。 時にはお医者さんに知られると怒られるかなというようなことも、これ以上我慢させたくない気持ちや子どもの喜ぶ顔、もしもの時の後悔を天秤にかけながらやっていました。 息子はお空に行ってしまいましたが、息子と過ごした時間はかけがえのない幸せな時間でしたし、精一杯考えて選択してきた道に後悔はありません。 息子が小児がんになったからこそ、学んだこともたくさんあります。 そんな経験を受け止め、少しでも同じように悩んでいる方のお役に立ちたいと考えています。 私は離婚しているので、旦那に相談することもできず、必死にインターネットやSNSで情報を集めたり、同じようにお子さんが闘病中の方と話をして励まし合ったりしてきました。 しかし、当然のことと言えばそうなのですが、長い闘病の中で出会った多くの方の考えも様々でしたし、治療経過も亡くなり方も、子どもが亡くなった後の感情も、私が情報を集めて想像していたものとは違っていることも多く、同じように小児がんになったからといって、本当に人それぞれだということを実感しています。 なので、未来アドバイザーですが「あなたの未来を知っている」とは思っていません。 ただ、私の経験をお話することや、あなたのお話をお聞ききし心寄り添うことで、少しでも参考にしてもらえたり、心が穏やかになってもらえたり、頑張るパワーになれたら嬉しいです。 私の人生の中では小児がんのことが一番大きなことなのですが、不倫されてシングルマザーになったこと(調停や裁判もしています)や、ママ友関係の悩み、中学受験なども経験していますので、そちらのお話もできます。 30歳になるまでは周りの環境にも恵まれ、何不自由なく生きてきた私ですが、離婚や子どもの病気など、自分の努力ではどうしようもできない出来事を経験し、最愛の息子が亡くなったことで生きていくのが辛い時もあります。 それでも、何も苦労せずに生きてきたときよりは、人間としての深みや、自分の人生の生き方を考える力が出てきたようで、自分らしさを持てるようになったと感じています。 これからどう生きていきたいかを考えた時、何か人の役に立てることがしたいと強く思うようになりました。 こんな私ですが、みなさんとお話できたら嬉しいです。 よろしくお願いいたします。 家族構成:私(40代)、長男(高校生)、次男(中学生・天使)、犬2匹 関連ワード:小児癌、小児がん、小児ガン ●対応可能な曜日と時間帯 9時~22時※日にちは要相談 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
夫の自死で後悔と自責の18年、そして解放された今
¥7,700
【私が話せること】 ●大カテゴリー ・夫のうつ病のすえ、自死による絶望感 ・死別後の罪悪感、自責、後悔、怒りなどの悲嘆感情との向き合い方 ・悲嘆の苦しみを「見ないフリ」をして長引かせてきたもの ・未亡人になったシングルマザーの気持ち、人を羨む感情との過ごし方 ・自分を大切にして生きるということ ●小カテゴリー ・子育て中、父親のことを話すときに気をつけた事 ・楽しかった時の思い出に触れた時やトラウマを思い出した時の苦しみ ・周りの人に「自死」って言えなかったこと ・罪悪感は手放していいこと ・死別後どう生きていくかを考えるということ ・恋愛について 自死遺族当事者として私の経験をお話しできればと思います。 2000年9月ごろより、夫は仕事の過労からうつ病を患い、2001年3月入院(当時夫26歳、私26歳、長男1歳、次男妊娠臨月) 夫の退院後、すぐに次男を出産。 その後、夫は心療内科に通って徐々にうつ病は改善しました。 仕事を転々としながら、1年に1度の間隔でうつ病の再発~寛解をくり返していきました。 当時私は、夫の親と同居しサポートを得ながら子育てと仕事をしていました。 将来が不安でこの先、どうやって生きていけばいいのか見えなくなり、いっぱいいっぱいになることもありましたが、誰にも相談できませんでした。 2000年当時うつ病は、今ほど浸透していなくて、夫は「ダメな人間がかかるもの」というイメージが強くて、病気のことを誰にも言わないで欲しい、という事で家族だけで抱えていました。 夫も父親の役割を果たそうと頑張って最期は介護の仕事を覚えて働いていました。 うつ病で休職した後、職場復帰したころです。 病気から出てくる言葉と分かっていても、 生きるのがつらい、死にたいって話す夫に、 なぜ子どもがいるのにそんなことばかり言うの?って悲しくなったりしていました。 夫はとっても辛かったと思うんですけど、家族はもっと「辛い」と言えなくなる 苦しい。誰かに相談したい。仕事先で相談できそうな人を探しても、結局相談できなかった。 そんな日々を送っていたある日、私のストレスが爆発して 「そんなに言うんだったらいっそのこと死んじゃえば」って夫に言い放ちました。 その4日後の2006年1月に夫は自ら命を絶ちました。(当時夫30歳、私30歳、長男6才、次男4才) そんなつもりで言ったわけじゃないのに・・ 「死んじゃえばって言ったから夫は自殺した」取り返しのつかない事をしてしまった。 「私が殺したんだ」という強い自責感、 あの時言わなけば死を防げたという罪悪感でほんとうに押しつぶされそうでした。 自分の事を、なんと無力で、何もできないのだろうと自分の人格すらも否定していきました。 なぜ死んだの?あなただけずるい、子供を残して死ぬなんて!私はどうすればいいの?というものもありましたが、はるかに罪を犯した気持ちが強く その時から一切の怒りや苦労を封印し、一生かけて罪を償うと心に決めました。 喪失の悲しみも苦しかったけど、アイデンティティの喪失は、その後の自分を苦しめていきました。 子育てしながらも不眠や食欲不振、体重減少、過活動などの悲嘆をしている そんなある日、 市役所の母子相談員から勧められた母子のための高等技能訓練促進費。 これを利用して資格を取り、ほかの人の役に立つことをすれば 私の罪滅ぼしにもなるのかな・・と思って看護師になろうと決めました。 そして夫の死別から1年後、看護学校に通い始めました。 その頃の喪失の悲しみを勉強に向けることで、その気持ちを(寂しさ、孤独感、怒り、罪悪感、後悔、心慕、疎外感など)紛らわすことができました。 今振り返ると 罪に押しつぶされそうな自分自身を救いたかったことと アイデンティティの喪失、自己効力感ゼロになった私にとって 世間的に立派なことをするのが、 周りにいい評価をされるのを無意識に求めていたのかもしれません。 そこから看護師になりこの人生で生きていくと決めて迷いもなく子育てをしました。 ときに幸せそうな家族を直視できず、羨ましくもなりました。 でも、夫を自殺に追いやった私は幸せになれないってブレーキを掛け続けました。 子供には、あなたたちがいるからお母さんは幸せ!という姿でいましたが、 女性としての人生はもう無いな、と思って目をつむり、おしゃれも化粧もしなくなっていきました。 時間の経過とともに、夫の喪失の悲しみも薄れていき、私と子供の生活が主になっていきましたが、楽しい思い出の日と同じ日を迎えると悲しくなったり、2人が好きだった音楽や場所、トラウマになったものは避け、感情が湧き上がらないようにしてきました。 そんな中、 看護師の仕事は慣れてきましたが、自分を否定したり、ブレーキをかける事は続いていたので、ストレスを発散するためにと始めた登山で、私の中の世界が広がっていきました。 そして、数年かけて自然と触れ合うなかで、少しずつ自分を取り戻していくことができました。 そして残りの人生を後悔なく生きたいと気持ちが湧き上がり、少しずつ自分の気持ちを素直に受け入れるようになりました。 40代になってメイク道具を買い替えたり、初めて婚活へ挑戦したりして、 5年前に現在のパートナーに出逢い、女性として幸せになっていいんだ、と実感しました。 夫の17回忌が過ぎたころ、息子たちも社会人になり、肩の荷が下りたという感覚が大きく、もう一度自分を見つめ心理学やほか様々なことを学んでいきました。 そして分かったことは 私の思考の「ずれ」が生きづらさを抱えている事、そして自分を否定して愛せていない、セルフイメージが低かったことが生きづらさの原因だと辿り着きました。 女性は太陽。妻が元気だったら夫も元気になる。 当時私は自分を否定し、我慢して不機嫌でいたことで、夫もそれに影響されて自己評価を上げることができず、生きづらさを抱えていたのかもしれない、と思うようになりました。 死別後の悲嘆な感情(否認、絶望、悲しみ、寂しさ、孤独感、怒り、罪悪感、後悔、心慕、疎外感など)を避けても、その当時の感情はずっと心と身体に残り続け、その状態で人生を進んでいこうとしても、自らブレーキをかけていました。 そこから、日々の小さなことを叶えてあげる所からコツコツと自分のいい所を探していき、自分の心と身体を愛おしく愛せるようになっていきました。 バランスよく物事を捉えられるようになると、今まで抱えていた罪から解放され「私だったら大丈夫」って自分に信頼ができるようになりました。 こうやって、こころが解放されて気づいたことは こころの状態によって、人生の自由度が変わるということ。 ほんとうに、セルフイメージが高いか低いかで、人生の選択が変わる。 自死した本人も一番辛いのですが、 遺された人も傷ついています。 いくら時間が経過していても同じです。 心のしこりや傷を少しでも外に出していくことが、本当の意味で前へ進む1歩になります。 遺された遺族だからこそ、幸せになることが大切だと思っています。 そして何より お別れした夫やご先祖様たちに、幸せに満ちたありのままの私達の姿を見せることが供養になると思っています。 一見、前向きに生きてきたように見える私でさえも、 このような心の葛藤を抱えて生きてきました。 40分という短い時間ではありますが ・死別後、様々な感情にフタをしてきた方 ・罪悪感や自責の思いが消えない方 ・周りの人へ話すのを躊躇して、どこか孤立感を感じている方 ・死別後、子供をどう育てていけばいいか不安を抱えている方など 様々なパターンや事象があると思いますので、 私の経験はひとつの経験でしかありませんが、 同じような自死遺族という立場で苦しんでいる人達の何かお役に立てれば幸いです。 家族構成:私(49歳)長男(26歳)次男(24歳) 【ユウさんのブログ】 あなたの心と魂の橋渡し☆看護師セラピストゆみっち https://ameblo.jp/515041/ ●対応可能な曜日と時間帯 月火水金/19時 木土/14時~19時 ※上記の曜日で、まれに10時~12時、14時~19時可能、応相談。 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
不妊治療と流産を乗り越え産まれた娘はダウン症
¥7,700
【私が話せること】 ●大カテゴリー ・不妊治療を受けるまでの経緯 ・不妊治療で辛かったこと ・流産をしてから治療再開するまで ・羊水検査の結果を受けて ・ダウン症の子を産んでから現在の心情の変化 ・ダウン症の未就学児の育児や日常 ・ダウン症児ならではの悩み ●小カテゴリー ・高齢での出産、妊活の難しさ ・二人目不妊の悩み ・流産と判明してからの気持ち ・ダウン症の子の特徴 ・職場への出産報告 ・ダウン症とカミングアウトした時の周りの反応 現在44才2児の母です。 不妊治療の後、ダウン症の女の子を出産しました。 私の経験が皆さんの心に少しでも寄り添えたらと思い、アドバイザーになりました。 不妊治療をするor辞める、ダウン症児を産むor産まない。 同じように苦しみ葛藤してきたからこそ、私の気持ちを押し付けることはありません。 あなたの決断を尊重します。 ただ、ほんの少し心が軽くなるヒントになればいいなと思っています。 私のプロフィールです。 〜不妊治療 36歳で結婚。 37歳の時、タイミング法で授かった子を8週で稽留流産します。 その後、上の子を同じくタイミング法で妊娠し、38歳で出産しました。 39歳で二人目妊活を始めます。 最初はタイミング法で授かりますが、 6週で稽留流産になったことで顕微授精にステップアップしました。 その後も不育症の検査で問題なかったものの3度の流産。 (一般論として心拍確認できたらひとまず安心と言われる中、心拍確認後の流産は予想外の出来事で一番辛かったです。) 当時は保険適用外だったため、自治体の助成がきく3回まで!凍結胚があるまで!と自分を鼓舞し、不妊治療を続けました。 不妊治療で悩んでいる方、 流産されてしまった方、 そのご家族(声のかけ方分かりませんよね)、 思いを共感できたらと思います。 ※治療内容については個々によりますので、ご相談を受けかねます。私の治療内容も分かる範囲でお応えしますが、あくまで私の場合ということをご理解頂ければと思います。 〜ダウン症児育児 その後ようやく42歳で妊娠しました。 最初は幸せの絶頂でいましたが、 29週で胎児水腫と診断されました。 医師からもネットの情報からも 「予後不良」と「染色体異常」の二言。 起こり得る事態に備え、30週で羊水検査を受けダウン症と診断されました。 可愛がれる自信も全くなく、お腹の子と一緒に死ぬことや上の子の将来を思い離婚することまで考えました。 何度も流産したのはこういうことなんだと自分を恨みさえしました。 それでも「この子は助からないと思う」と医師から言われながらも一生懸命生きようとする姿を見て思い留まりました。 今は色々な人に支えられ、人の温かさに触れ、人生で一番幸せな毎日です。 出生前診断を受けるか悩んでいる方、 出生前診断で陽性が出た方、 ダウン症児を妊娠されている方、 ダウン症児を出産されて間もない方、 他の障害でも誰かに聞いてもらいたい方、 そのご家族、 私の経験をご参考にしてください。 お話させて頂いた皆さんの人生が より良いものになりますよう願っています。 家族構成:夫、5歳長男、2歳長女ダウン症 【マメコさんのブログ】 42歳、足掻いてできた2人目はダウン症でした… https://ameblo.jp/mamekoimoki/ ●対応可能な曜日と時間帯 月〜金/21:30〜23:30受付 日/13:30〜16:00受付まで ※いずれも2025年4月まで この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
妻の不倫発覚、離婚、裁判を経て…サレ夫のリアル
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・不倫(サレ側について)のリアル話 ・不倫をされた時の気持ちと行動 ・離婚調停について ・離婚後の心境 ・サレ夫となった絶望感、やるせない気持ち ・サレ夫になったらどうすればいいか ・子供の気持ち ●小カテゴリー ・不貞裁判、民事訴訟について ・子供との面会調停 ・(シタ側の)不貞証拠集め ・離婚後の子供への見えない援助 私の妻は2年ほど前に不倫をして家を出ました。当時、高校2年生の息子と小学5年生の娘を連れて。 この頃の私は、子供たちが巣立って行ったら残りの人生を夫婦で幸せに過ごしていこうと漠然と考えていました。 妻の行動がおかしいと気づいたのは発覚時の半年前。犬の散歩へ行くと言って2時間も帰ってこなかったり、娘が所属していたスポーツクラブからの帰りが遅く、帰ってきたと思ったら飲酒をしていたり…今までになかったことが立て続けに重なりモヤモヤしていました。 極めつけは、周囲の方から妻の様子がおかしいと言われ始めたことです。 息子がスポーツクラブに所属していたときに、私は引率などをしていたので、近所や学校にいわゆるパパ友がいたり、ママたちの知り合いも多くいました。その方たちからの噂では、娘のスポーツクラブのコーチとどうやら親密そうだということでした。噂を聞いてからは妻の動向を伺うようになりました。 疑い出してからは一つ一つの行動が怪しく思えてしまう。 その頃、夫婦ケンカも増え、やるせない気持ちから飲酒の量も増えていきました。 妻の不倫相手はスポーツクラブのコーチであり、娘の同級生の父親でした。 まさかとは思いましたが、私がひそかに調べを進める中で不倫相手の奥さんと話す機会が訪れました。 話していくうちに怪しく思えていたことのつじつまが合っていき、疑いが確定に近づいていきました。私は相手の奥さんと協力をし合って証拠を集めていきました。 水面下で証拠集めをしているときも、妻から離婚話を毎日のように持ち出されていました。 ここで探偵に調査を依頼し、もちろん自分たちでも細かいところを調べていきました。その結果、状況証拠を多数取れたので代理人をたてて不貞に対する慰謝料請求の裁判を起こしました。 証拠は逐一探偵さんから報告が入りました。 ホテルの入退室の証拠を見た時は裏切られた悔しさや怒りが一気に押し寄せてきて、これまで行きてきた人生、楽しかった思い出も音を立てて崩れていくように感じました。 不貞裁判の中、妻が離婚調停を申立てました。妻は代理人を立てましたが、私は自分で調停に臨みました。 法的なことは、弁護士さんに相談をしてアドバイスをいただきながら書類を作成したり調停員の方とお話をしていきました。 好きで一緒になった妻ですが、調停や裁判となると互いに譲れないものもあるので争う形になります。 当時は子供の今後のこと、親権、面会、財産分与と慎重に考慮していかなければならない反面、妻の不貞事実は結果が出ていないので苦しい葛藤の日々を送りました。 結局、調停で離婚が成立しました。 調停の結果はほぼ自分の納得のいく結果となりましたが、子供と離れて暮らすことはやはり寂しいです。 離婚成立後、半年以上が経ち不貞裁判も妻と不倫相手が慰謝料を払い和解という形で終結しました。 離婚調停の中で面会交流についても取り決めがされましたが、妻は不倫相手と同棲をしていたため約束は果たされず、数カ月が過ぎてから面会交流についての調停を私から申し立てました。こちらも代理人を立てずに臨みました。 今も面会は実現していません。 そんな中、娘所属のスポーツクラブで離婚理由を私が不倫していたなどと大勢の前で言われてしまいご近所や仕事にも影響が出てしまったため、今度は名誉毀損で訴訟提起しました。調停とは違い裁判ですが、こちらも弁護士を雇わず書類作成から出頭まで自ら行っています。 不貞裁判をお願いした弁護士の方にこの件も相談したところ、知識は少し必要ですが気持ちが伝われば代理人を立てなくても自身で裁判を進めることができるとお聞きしました。また、弁護士費用はそれなりに高いと思います。自分で進めることができればお金もかからないということを教えていただきました。法的なアドバイスは相談にのってもらえるとのことで、本人訴訟に踏み切りました。 思っていたよりも大変な作業ですが、今も奮闘中です。 結婚、離婚、裁判と目まぐるしく日々を過ごしてきました。 当初は怒りが原動力となっていたと思います。 しかし今は、子供の未来、自身の今後と向き合いながら過ごしています。 このような経験を通して、同じような悩みを持つ方のこれから先の道しるべ、また不安解消のお手伝いができたらと思います。 40分という短い時間ではありますが ・パートナーの不倫や浮気に気づいて悲しさや絶望感を抱いている方 ・調停や裁判についての体験談を聞きたい方 ・離婚時、その後の喪失感を味わっている方 ・子供に会えず苦しい思いをしてる方 ・色々な情報に迷いを感じてる方 これらは当時私が悩んでいたことですが、現在は悩みではなくなり 忙しくも前向きに日々過ごしております。 このようなことに当てはまる方とお話ができればとおもっております。 家族構成:初婚時の次男、9歳の柴犬♂と一軒家暮らし ●対応可能な曜日と時間帯 ※土日祝の15時までは不可。 それ以外は日時・時間によってすべて可。 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
【がん×仕事】がんになってもキャリアを諦めない
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・私の乳がん体験 ・がん罹患を周囲に公表するメリット/デメリット ・治療しながら仕事をするということ ・がん患者のキャリア形成 ・職場の理解と不理解 ・様々な情報の集め方(セカンドオピニオン含む) ・自分の気持ちとの向き合い方 ●小カテゴリー ・乳がん/浸潤性乳管がん ・ルミナル型/ホルモン療法 ・リンパ節多発転移/リンパ節郭清 ・標準治療→化学療法(抗がん剤)/部分摘出/放射線 ・分子標的薬治療/薬剤性間質性肺炎 ・がん患者が休職せずに仕事を続けることのリアル ・治療と仕事の両立について 2023年春、仕事中に左脇になにかが詰まっているような違和感をおぼえました。 当時の私はいわゆる「バリキャリ」を体現したような生活をしていました。子供のころから「仕事を通して自己実現したい」と思っていて、いざ社会に出ると結果を出した分だけ評価されることに遣り甲斐を感じて走り続けてきました。順調にキャリアを積み、大手の会社で管理職に就くまでになりました。 プライベートでも自分の好きなことを存分に楽しみ充実した日々の中、ある日突然に想像もしていなかった「がん患者」になりました。 左脇に感じた違和感は、左胸にできた原発がんからリンパに転移していたことが原因で、がん発覚時にはすでにリンパ節に5~6個の転移が見られました。2023年6月9日、がんの宣告を受けました。宣告のあと、看護師に別室に呼ばれて「心配なことはありますか?」と聞かれたのを覚えています。 がん宣告されたばかりの私の口から出たのは、①親のこと②仕事のこと③自分の命、の順番でした。親に心配をさせたくないという想いが一番なのは今でも変わらないのですが、自分の命より先に仕事という目の前の心配をしたことに、今となっては苦笑してしまいますが、それほどに仕事は私の人生において大きな割合を占めていたのだと思います。 がん発覚から、1年半経った今現在まで私はずっと働いています。(外科手術した入院期間2週間を除く)職場で自分のがん罹患を伝えるかどうか、休職するか否か、体調との折り合い、通院とのバランス、周囲の理解など「がん×仕事」というテーマにおいてたくさんのことを考え、多くの気付きがありました。 私は仕事に就いている人達ががんになったら、働いても、働かなくても良いと思っています。それぞれがそれぞれの選択に不安を抱えずにがんの治療を進められるのが一番大切なことだと思っているからです。できれば「びっく離職(ビックリしょく)※」だけは避けていただきたいとは思いますが…。 ※がん告知に驚いて、色々考える前に退職してしまうこと あるデータには、がん告知後に仕事を辞めたり休職したりせずに働き続けている人の割合は26%だと書いてありました。私の選択は日本においてまだマイノリティだということです。それでも私はこの自分の選択に満足しています。ぶつかる壁は多かったですし、まだこの先も多くの問題にぶち当たるかもしれません。がんにも負けませんし、押し寄せる壁(問題)にも負けないつもりです!今はバリキャリ道からは少し脇に逸れてはいますが、私は仕事を楽しむことも手放さないことに決めています。 がんは私の個性のひとつ、高血圧や緑内障みたいに持病のようなもの。 こう思えるまでにたくさんのことを考え、たくさんもがきました。 がん罹患をオープンにしている人がほぼいない職場で、私はフルオープンにして仕事をすることを選びました。そのことで起きた波乱や、得ることができた多くの気付きや励まし。がんに支配される人生なんてまっぴら!と、自分の中のがんをコントロールするイメージで毎日を過ごしています(^^)がんのこと、がんをしながらの仕事のこと、何でも気軽にお話しできたらと思います。 ※「未来アドバイザー」で得る報酬は未来アドバイザー運営事務局から直接以下の団体に寄付させていただきます https://www.childrenshospice.jp/ 家族構成:シングル 【ユズさんのブログ】 40代独身、いわゆるバリキャリががん罹患したその後 https://ameblo.jp/55ameb ●対応可能な曜日と時間帯(これを基にクライアントが3つ候補日を出してきます) ・平日/20~22時 ・休日/11~20時 ※その時々の状況に拠ります 関連ワード:乳癌、乳がん、乳ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。 ※当アドバイザーは報酬を受け取る代わりに、未来アドバイザー運営事務局が当アドバイザー指定の社会貢献団体に寄付いたします。
既婚ゲイというセクシャリティの生き方を経験して
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【私が話せること】 大カテゴリー ・ゲイだと認識した時期 ・女性との恋愛 ・男性との初体験 ・結婚 ・妊娠 ・子育て ・熟年離婚 ・ゲイとして生きる ・家族へのカミングアウトの要否 ・セカンドライフの生き方 ●小カテゴリー ・千差万別、自分のセクシャリティとは? ・結婚を決意した理由 ・妊娠が分かった時 ・子育てを経験して ・離婚後のセカンドライフ ・自分に正直に生きる、ということ 自分は二人兄妹の長男として産まれました。 子供の頃は、女の子とばかり遊んでいたので、男子に「おかま!」と言われていじめにあいました。 恐らく、私が中学でも女子に人気があり、告白してくる子もいたので、男子たちはやっかんだのだと思います。 そんなこともあり、 女性との恋愛は、社会人までの間に3人とお付き合いしましたが、実はSEXができずに かなり悩みました。 思い切って、ソープランドにも行きましたが、やはりSEXができませんでした。 そんな中、一人暮らしを始めて、出会い系のサービスで男性と知り合い初体験 女性よりも男性とのSEXを先に覚えてしましました。 そんな状況でも、交友関係はノンケの男性社会にありましたので 男性の友人には、「次に交際した女性と結婚する」と宣言してました。 そんな中、同じ音楽サークルにいた今の奥さんと知り合い、私から交際を申し入れ、 OKをもらって交際が始まりました。 一人暮らししていたので、彼女が仕事の帰りに毎日部屋によって、 私の帰りが遅かった日には、置き手紙がしてあり、ますます恋愛感情が高まりました。 そして、ついに彼女とカラダの関係になった時、 なんと、SEXできたのです! 恐らく、「好き、愛おしい」という感情がSEXできた要因だと思います。 そのことにすごく感動し、デートの都度SEXできたので もうこれは、彼女と結婚して、家庭と子供が欲しい!と結婚願望が高まり、プロポーズ 先方の両親にも許しを得て、結婚しました。 ここまで順風でしたが、ちょいちょい裏で男性とのSEXもしていたことが原因で B型肝炎と梅毒を発症、いきなり破局の危機を迎えました。 しかし丁重に謝罪し、「酔っぱらった勢いで売春婦と関係を持った」とウソの理由で 何とか許しを得られることに。 ここでは絶対に「男性とのSEXで感染した」とは言えませんでした。 4年間の薬物治療の後、寛解しました。 そのため、やっと妊活を開始。 すると程なく自然妊娠。 奥さんは一度切迫流産で入院しましたが、無事に女児を出産しました。 産まれた時の感動は今でも忘れられません。 そして、共働きの私たち夫婦の子育てが始まりました。 子育ては本当に楽しさの方が苦労を大きく上回って 子供の成長は自分の生きがいになりました。 保育園のお迎えも、 夫婦交代、両家の親の協力、最後の砦のファミリーサポートも使って 乗り切りました 途中、もう一人妊娠しましたが、残念ながら流産。 それは私にとって、とてもショックで、今でもその子は「男の子だった」と信じてます。 そして、私は次の試練に。 仕事の激務で不眠から始まり、うつ病を発症(結果は双極性障害でした)。 共働き&一人娘だったのと、 自分の会社の福利厚生が手厚く、休職中も給与は満額支給されていたため、 娘には何不自由させることなく済みました。 海外旅行にも毎年行きました。 そして娘も、私立高校、私立大学を卒業し、無事に成人して、 一人暮らしを開始。 この時点で、養育費が終わり、自宅のローンも完済したため また夫婦二人だけの生活になりました。 そうなると、新婚当初とは様子が違い、細かいことでいさかいの毎日。 そんな日々に奥さんの方がしびれを切らし、離婚の提案を受けました。 そうなるともう私も、自分のセクシャリティを再認識し ゲイであることをハッキリと自覚しました。 ただし、家族へのカミングアウトは絶対にしないと決意します。 それは、カミングアウトしたところで誰も幸せにならないというのが持論だからです 程なくして「円満離婚」が成立し、共有財産も半分に分け、 私も持ち分も奥さんに買い取ってもらいました。 そして現在、私は都心で一人暮らしを始め 自由で自分らしい生き方を見つけて、楽しいセカンドライフを送っています。 世の中には、様々な理由で「結婚」を選択したゲイは多数存在していて 家族には内緒で自分の性欲をマッチングアプリなどで解消している現状も知っています。 そんな状況にある多くの方々に 私の経験をお話しし、人生の参考にしていただければ、 と思っております。 【ゲイパパのブログ】 「パパはゲイ!」 https://ameblo.jp/gay-daddy/ ●対応可能な曜日と時間帯 平日/19:00~ 土日/19:00~ ※夜中でもzoomなら対応可 関連ワード:ゲイ、LGBT、セクシャルマイノリティ、セクマイ この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
不登校の娘に感謝~虐待からの解放~
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・被虐待児だった私について ・しつけで叩いてしまうのはなぜか ・なぜ、私は虐待をしてしまったのか ・娘からの衝撃の告白について ・虐待、不登校によって私が気づいたこと ・不登校は悪いこと? ●小カテゴリー ・被虐待、虐待にどうして気づいたか ・私が親から何を求められていたか ・苦しみが100から10になった道のりについて ・ではどうすればよいか 自分の感覚がおかしい、と気づいたのは自分が母親になってからでした。 私は、自分の親から虐待を受けました。幼い頃から暴力や言葉の暴力を受けること、脅されること、罰を受けることが日常的でした。そして最悪なことに、自分が親になった時に自分の子供に同じようなことを繰り返してしまいました。なぜならそれしか手立てを知らなかったのです。 当然ながらそんなことをしても子供との関係がよくなるはずもなく、親子関係は悪化しました。私はそういう行動をしながらも、「何か違うのではないか」と違和感を抱いていました。家で繰り広げられる地獄絵図を目にする度に、荒んでゆく自分を感じつつ、自分の気持ちはモヤモヤするばかりでした。 娘は、中2の時に靴下の丈を担任の先生から注意されたことがきっかけで、学校や社会、世界について深く考えるようになり、中3の1年間「洗脳されたくない」と登校拒否、続いて息子も部活で何かあったようで、高3の時に不登校になりました。息子はあと3日欠席していたら高校は卒業できなくなる、という状況の中、なんとか高校を卒業しました。 娘は無事(というか自動的に)中学を卒業しました。目指す目標に向かう為、遠方の高校を選びました。新たな環境で娘と私の二人暮らし(夫は単身赴任、息子は大学の近くで一人暮らし)を始め、最初は順調でした。 そんな中、娘が高2の4月のある日、「昨日死のうと思ったんだけど、死ねなかった」と言ってきました。私は咄嗟に娘を刺激してはいけないと思い、表面上の平静を保ちながら、心臓のバクバクが止まらなかったのを覚えています。 原因の中の一つに、娘が受けた私からの虐待というのがありました。「ママのせいで私の人生はメチャクチャになった」と責められる毎日が始まり、1年以上続きました。「死にたい」と昼夜関係なく毎日私に訴えてきました。手塩にかけて育てた娘からそう言われるのは、自らが原因なのだ、自業自得なのだと自覚しながらも、さすがに堪えました。 暴れる娘に私が収集つかなくなり、「もう手に負えない」と泣きながら警察に助けを求めたこともありました。 昼夜逆転の娘の生活、娘の嵐のような激しい感情、気を抜いたら蟻地獄のように私まで引き込まれてしまう娘の鬱。真っ暗闇しか見えませんでした。娘に合う病院を探し回りました。6軒回りましたが、結局娘に会う病院は見つからず、娘も私も諦めました。 私は彼女の苦しみをどうにかしようと手を尽くしたのですが、お恥ずかしい話、詰まるところ、私自身の器ができていませんでした。娘に元気になってもらいたい、娘の笑顔をもう一度見たいという気持ちは溢れるほどにあるのですが、一方、自分が親にされた虐待を思い出し、闇の中でもがくばかりでした。 私は娘の機嫌を伺い、娘の一挙手一投足にビクビクし、いつ何時娘がどうにかなってしまうのではないかとハラハラする毎日を過ごしていました。張り詰めた気持ちでほとんど眠れない夜が半年以上続きました。 もがきにもがく中、私は「相手をコントロールしようとしない」「自分を見つめること」「自分の気持ちを認識すること」「自分のどのような気持ちも否定せずそのまま認め、十分味わうこと」このような結論に行きつきました。 いつの間にか、娘は少しずつ、少しずつ、自身で確実に歩みを進めており、波はあるものの、歩み寄ってくれる時間が増えました。なんと生活を立て直す為に高校に通うという意思を自ら示し、毎日通うようになりました。 最近は、娘からランニングに誘われ(私は引きずられるようにですが)一緒に毎日走っています。娘は「行くのが怖い」と言いながらもジムに通い筋トレもしています。 母娘の小競り合いが時折ありつつも、娘が活動できるようになり、たまに歌など歌っている娘の声を聴くと私は泣けてくるくらいグッときます。 娘と私は恐らく行きつ戻りつしながら僅かずつ前に進んでいます。私にとって当時の苦しみが100くらいの大きさだったとすると、今では10になったと感じられるようになりました。 今、お子さんのことで上も下も前も後ろもない真っ暗闇にいて、どうしたらよいかわからない方はいらっしゃいますか。私の体験を共有することで少しでもお役に立てれば、と思います。共有すること、分かち合うこと、それはかつての私が心の底から熱望していたものです。 お互い話すことで、不安や苦しみを分かち合い、少しでも楽になっていただけたら、と思います。一度心の重荷を下ろしてみませんか。 ●対応可能な曜日と時間帯 2025年3月14日まで 月〜土/10時〜20時の間の40分 ※2025年3月15日以降 月〜金/10時〜20時の間の40分 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
「死にたい」追い詰められた不登校児とシンママの今
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・思春期(中学生)の不登校ひきこもり ・母である私の不登校引きこもりに対する意識の変化 ・次男(本人)の死にたい~今、楽しいまでの気持ちの変化 ・不登校引きこもり児とそうでない兄弟への母としての関わり方 ・不登校ひきこもり児を抱えるシングルマザーの気持ち ●小カテゴリー ・繊細気質の次男への接し方 ・不登校引きこもり児ではない長男の気持ち ・学校との関わり方 ・利用した公的、民間支援機関 ・子供達への寄りそい、声かけの仕方 はじめまして 私はアラフィフのシングルマザーです。 私には息子が二人おり 次男が中学一年の三学期より完全不登校引きこもりになり 当時は「人生終わった…」と本気で思いました。 二学期後半頃から 学校に行きたくないというようになり、 なんとなく気にはしていましたが 正直そこまで深刻には考えていませんでした。 ですが 次第に元気がなくなっていき 冬休み直前に二日間休むことに。 冬休み中、 三学期になって、このまま学校に行かなくなるのでは?と 思った心配が的中。 完全不登校引きこもりになってからは 本人だけでなく私自身、 息子の身に何が起こっているのかが分からず、 この先どうなるんだろう? このまま大人になってもずっと引きこもり? 勉強は? と不安に押しつぶされては相談できる相手もおらず、 一人涙する日々でした。 本人は外出したがらないので 私だけが奔走し、 早く何とかしなければと躍起になっていました。 ある小児精神科で相談すると 「お子さんはうつ病だと思います」と言われたことも。 ですが 様々な機関に相談してもこれといった改善策もなく… 当の本人も 時には 「死にたい」 「生きてる意味がない」 「死なせてくれないなら殺してやる」と言って 長男に向けて包丁を取り出そうとするほど 精神的にも追い詰められていました。 仮にも万が一のことがあってはならないと、 長男(当時高校3年生)はしばらく私の実家で過ごすことに。 元々すごく兄弟仲が良かったのですが 不登校引きこもりを機にバラバラになってしまい 長男が自宅に戻ってきても 家の中の空気は常に殺伐としていました。 この頃は 私が外出先から戻り 玄関を開けたら次男が死んでるのではないかと 毎日怖くてなりませんでした。 そんな日々を過ごしているうちに 次第に私の心も限界を感じ、 ただ泣いてるだけじゃ変わらない、本気で私が変わらなきゃ! と思い、 ボロボロだった私のメンタルを整えていき、 「学校に行くのはあたりまえ」 といった あたりまえだと思っていたことを 手放していきました。 学校に行かせようとするのは何のため(誰のため)? といったように考えていくと、 私が世間体を気にしていただけだということに 気づいたのです。 私は 息子の心の声を聴いてあげられていなかった。 そのことに気づいてから 少しずつではありますが 次男も笑顔が増えていき、 兄弟間でも会話をするようになり 今ではまた昔のように仲良く過ごしています。 次男は中学卒業後、高校進学を選択しませんでした。 この時代、高校に進学しないという子は ほとんどといないと言っても過言ではないと思います。 その後一年間はどこにも属さずに自宅生活をし、 翌年になり通信制高校に属することになり現在に至っています。 世間的には我が家は 不登校引きこもりが回復したという 状況ではないのかもしれません。 それでも 私たち家族は親子関係、兄弟仲も良好で 幸せに過ごしていますし、 母である私は今の方が断然生きやすくなりました。 私は私のままでいいと思えるようになったこと、 親子三人がそれぞれを尊重しながら過ごせていること 私はこの経験を活かして 人のお役に立てるようなことをしていきたいと 新たに夢まで出来ました。 これらは次男が不登校引きこもりになったからこそ 得られたものであり、 以前の私には二度と戻りたくありません! この先、全く不安がないとは言いませんが、 不登校ひきこもりであってもなくても 不安は誰でも何かしらあるものだと思います。 不登校ひきこもり自体は問題ではありませんが 当事者になってみないと分からない苦悩が多くありますよね。 今でこそメディア等で取り上げられることも多くなりましたが まだまだ周りの理解が得られないことも多々あります。 お子さんが不登校引きこもりになり 出口が見えないと感じてる方、 進学に気持ちが向かっておらず不安を感じている方、 シングルマザーで孤独を感じている方、 そのお気持ちに共感できる部分も多いかと思います。 私とお話しすることで 少しでもあなたの心が楽になってくれることを 願っております。 家族構成: 母/アラフィフ シングルマザー 長男/大学生 22歳 来年度から社会人予定 次男/通信制高校1年生 16歳(一般的な同級生は2年生) 【アジサイさんのブログ】 もう悩まない!不登校/引きこもり/生きづらさから解放される方法 https://ameblo.jp/06060401km ●対応可能な曜日と時間帯 午前8時~11時、午後5時~8時※曜日は要相談 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
HIV陽性者として生きてきて
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・HIV感染にしたかもという不安への向き合い方 ・HIV感染を疑うときと疑わなくてもいいとき ・HIV検査を受ける方法 ・HIV陽性告知を受けてから注意すること ・HIV陽性者になった時に利用できる制度 ・療養生活について ・HIV感染症と仕事 ●小カテゴリー ・HIV陽性であるかは専門的な血液検査でないと判明しない ・HIV検査を行ってくれる機会や場所 ・定期受診の必要性と服薬の継続 ・受診や服薬に必要な受けられる援助 ・HIV陽性者であることを開示すること ・感染したら知ってほしいU=Uとは ・療養生活と仕事の兼ね合い 私は、20年ほど前に、保健所の無料匿名検査でHIV陽性告知を受けました。 HIV陽性告知を受ける前、私はインターネットを介して知り合った人と、一晩だけを共にしセックスを繰り返していました。その時、時々、コンドームを使用しないアンセーフなセックスをしていました。 そんなセックスを繰り返しながら、時々、保健所の無料匿名検査を受けていましたが、陰性の検査結果を受けながらも、アンセーフなセックスをする、という、今から思えば矛盾した行為を繰り返していました。 分かっちゃいるけどついつい…って言うやつですが、皆さんはセックスする時「自分自身の健康を守るためにコンドームをする」って考えたことありますか? そして今からお伝えすることは「HIVを感染させた相手が特定された」わけではなく、今振り返ってみると「あの行為でHIVに感染したかも…」という推測でお伝えいたします。 2000年始め頃の夏、やはりインターネットを介して知り合った人と、一晩だけを共にし、アンセーフなセックスをしました。その翌日から40℃くらいの熱を出し仕事を病欠しました。 私はもともと扁桃腺が腫れやすく、風邪などをひくといつも喉を腫らして高い熱を出していたので、耳鼻咽喉科を受診しました。その際、医師の診断では「やはり扁桃腺が腫れていますね」ということで、抗生剤と解熱鎮痛薬を処方され帰宅しましたが、その高熱は3日ぐらい続いたと思います。 なんとか出勤できるようにはなったものの、常に37℃くらいの微熱があり、また夜はひどい寝汗をかき、非常につらい思いをしながら仕事を続けました。 2週間ほど経っても同じ状況でしたので、再び耳鼻咽喉科を受診。医師からは「扁桃腺は腫れていないけど首のリンパ節が腫れているので、一度、リンパ節を摘出して検査に出しましょう」という事になりました。 それは医師が「リンパ腫の可能性もあるから」という理由から提案していただいたのですが、私は医師の指示に従い、首のリンパ節を摘出する簡単な手術を受けました。 2週間後、その検査の結果が出たのですが、異常はない、という結論。そこで白血病などの血液の病気を疑い、当時、通院していた病院に非常勤で来ている、血液内科の医師の受診をすることになりました。しかし、血液検査をしたのですが、結果は異常なし、でした。ただこの時、時代背景もあって血液内科の医師も「HIV感染症」を疑わず、そのための検査は行っていません。 私は「原因がないのに体調がわるくなるはずはない」「何か原因があるはず」と思う反面、「もしかしたらHIVに感染したかも…」という思いでいました。 「HIVに感染したらどうしよう」という恐怖心もありましたが「体調不良の原因が分からないことのほうが怖い」とも思い、正確なに体調を把握するため、HIVに感染したと思われる行為から3ヶ月待って、保健所の無料匿名検査を受けました。 私は自分から保健所へ行き検査しよう、と決意しましたが、なかなか行けず躊躇してしまう…そんな方もおられるのでは? そして採血してから2週間。再び保健所を訪れ、結果を聞きました。そしてHIV陽性告知を受けました。 一瞬で頭が真っ白になりました。「仕事は?」「恋愛やセックスは?」「誰かに相談したほうが良い?」「ここまで育て上げてくれた両親に申し訳ない…」そんな思いで頭がいっぱいになり告知をしてくださった医師に私の思いを聞いて頂きました。 そしてその医師は、HIVの治療を専門に行っている病院あてに紹介状を書いてくださいました。私はさらにその2週間後、そのHIV専門病院を受診しました。 その後、定期的な受診とHIV相談をしてくださる臨床心理士さんの心理カウンセラーを受けながら療養生活を始めました。そして投薬が開始となり、今まで約20年間、HIVと共に生きております。 ここには書ききれないほどの、葛藤や苦悩もあります。例えば恋愛とセックスについて、開示すること、仕事、人間関係…そんな思いとともに私の経験をお話できれば、と思っています。 ●対応可能な曜日と時間帯 月~木:9:00~12:00・18:00~21:00 土:9:00~12:00 (祝日も対応可) この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
出生前診断でダウン症判明~命の選択~
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・不安まみれだった妊娠中の暗黒期 ・ダウン症を妊娠出産することの周囲への報告、反応 ・ダウン症児を産んでみて周囲の反応 ・ダウン症妊娠で大変だったこと ・ダウン症出産後の流れ ・ダウン症乳児期のこと ●小カテゴリー ・合併症の十二指腸閉鎖について ・出産後、家族の生活環境の変化 ・羊水検査を行った経緯 ・ダウン症を妊娠して始めたこと ・出産後のダウン症に対する行政からのフォロー 37歳で5人目の自然妊娠は少し気恥ずかしく、初めて中絶というワードが頭によぎりました。人生初のマタニティーブルーを5人目にして経験したのです。それでも当たり前に新生児育児に気持ちが向いていました。 妊娠12週で出産予定の病院でエコーしてもらい、「異常があるかも知れない」と告げられました。そこから感情のコントロールが効かない程、妊娠数週を重ねるごとに追い込まれていきました。 妊娠9週:病院1軒目、正常妊娠と確定。 妊娠12週:病院2軒目(1軒目は婦人科なので産科のある病院)「胎児に異常があるかもしれないのでもっと詳しくみていただける病院紹介します」との話を受ける。 妊娠13週:病院3軒目、ヒグローマか染色体異常と診断。初めて中絶の話をされ、他の病院への紹介状を受け取る。 妊娠15週:病院4軒目:やはりヒグローマか染色体異常との診断。NIPTは確定検査ではないから羊水検査を勧められて17週での羊水検査を予約、実施。 妊娠20週:羊水検査の結果、ダウン症と確定する。翌週までに中期中絶か出産か“命の選択”をすることとなる。 妊娠初期から中期まで、ずっと中絶か出産か、自分の選択する道がわからず不安で不安定な妊娠期でした。正直、お腹の中で亡くなってくれたらこんなに悩まなくて済むのに…。という考えもありました。 お腹は大きくなり、病院に行く回数も通常の妊婦検査より多く、会社には報告しないわけにもいかない。でも妊娠継続できるかもわからない。 中絶を選んで“障がいがある子どもは産まない人間なんだ”そう思われたくない。“うちのママは障がいがある子どもだったらいらないんだ”そう思われたらどうしよう。そんなことを考えては誰からも見られないトイレで泣いていました。 上の4人の子どもたちから第5子を拒否されたら…将来負担になるかも…いや中絶を上の子たちを理由にしてはいけない。決めるのは私なんだ。胎動を感じながら、産みたい。産めない。どうしたいかわからない。考えはまとまらないままでした。 今思えば酷なことを伝えたかもしれません。第1子、第2子には「お腹の子はダウン症だけどどう思う?」と伝えた私。後押しが欲しかったのか、否定が欲しかったのかはわかりません。 もらった言葉は「ダウン症でも妹を可愛がるだけ」「ダウン症が嫌だとは思わない」 目が覚めた瞬間でした。 そこからはダウン症の母になると決め、今に至ります。 ダウン症の母になると決めても不安は消えないし、覚悟もないままだった私です。でも不安なまま産むことや覚悟がないままダウン症の母になるのって、そんなにダメですか? ダウン症を妊娠し、出産し、現在育児をしていますが、私は産まないという選択肢を選ばなくて本当に良かったと思っています。 第1子は「一生守るからね」と第5子を抱きしめ、思春期の第2子は第5子を1日1回は抱き上げなきゃ気が済まない。第3子は「天使の生まれ変わりかもしれない」と独特の表現をするし、第4子は赤ちゃん返りもせずに第5子のお世話をして、保育所では「第5子ちゃんを今日もお願いします」と保育士の先生に挨拶に行く毎日を送っています。 産むことを反対した旦那さんからは「あの時“産みたい”って言ってくれて良かった」と、“命の選択”が私たち家族にとって間違いではなかったと日々確信に変わっていきます。 そして今日も第5子は家族の中心で笑顔で過ごしているし、きっと明日も笑顔で過ごすでしょう。 将来、第5子は小学校に入学するのも1本道ではありません。支援学級に進むのか、支援学校に進むのか…。私にはまだわからないし、誰にもわからない。だって未来のことだから。 それでも第5子は私の大切な子どもで、私たちの大切な存在であることに変わりはありません。 ・胎児の先天性異常が見つかった方 ・産もうか産まないか悩んでいる方 ・子どもの障がいを受け入れられない方 ・産む覚悟がない方、不安な方 ・多子世帯の方 ・ダウン症を妊娠している方 ・お腹の子の胎動が辛く感じる方 決めるのは自分。どんな選択をしても間違いじゃない。 不安なままでいい、覚悟がなくてもいい。負の感情だって吐き出せばいい。 先がわからない不安から、少しだけ先に同じ経験した私とお話しませんか? 少しでも不安が軽減されたら、自分の選択に進みやすくなるかもしれません。 家族構成:実母(70代)、夫(ギリギリ40代)、第1子(高校生、春から社会人)、第2子(中学生、春から高校生)、第3子(小学生、アイドル)、第4子(園児、春から小学生)、第5子(2歳、ダウン症)、猫2匹 【カズミさんのブログ】 わたし、ダウン症を妊娠したので出産しました。 https://ameblo.jp/m7r5k12s10-mi/ ●対応可能な曜日と時間帯(これを基にクライアントが3つ候補日を出してきます) 平日/19:00~※土・日・祝日は応相談 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
卵巣がんステージ3、未就学児2人とともに
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・卵巣がん治療について ・子育てとがん治療の両立について ・治験について ・子供への告知について ●小カテゴリー ・標準治療と費用に関して ・保育園、幼稚園、学童保育の選び方と行政支援について ・治験の種類とメリットデメリット。 ・母親ががんと診断された後の子供たちに関して 子供が1歳と4歳の時に卵巣がんに罹患しました。 子供たちにとって、病気の理解なんかできず、母親の体調なんか関係なし。遊んであげたいけど、遊んであげられない。そばにいてあげたいけど、あげられない。 とても苦しみました。 昨年、標準療法での完治は望めないと言われ、絶望しました。その時支えになったのが、近所のママ友でした。ママ友自身旦那さんをがんで亡くしており、私がいなくなった後は子供たちの事を託させてくれた。その存在のおかげで、完治を目指して治験を中心に治療を探すことができています。 今は、子供たちにできる事として、毎年のお誕生日に向けてのお手紙の作成。そして思春期の各時期に必要なものを詰めたママボックスの作成に精を出しています。 子供達がいなかったら、もっと生に対して楽に考えられたかもしれない。この世に未練なく過ごせたかもしれません。病気に対する苦しみは軽かったかも。そんな事を考えることもありますが、子供達がいてたから生きる方法を探せる。子供達そして家族が生きがいになっています。 外を歩くお母さんを見ると、この人は未来があるのにどうして私にはないのか・・・。切なくなり、涙が出る事もあります。 でも今生きている。今治療をしてるみなさん共に諦めず、できる事をやりましょう。 がんのせいで、仕事を諦めることになった方、 がんのせいで、将来・未来が見えなくなった方、 がんのせいで、生きることがしんどくなって苦しい方。 私にできる事はないかもしれません。でもその苦しみ・しんどさを話してみませんか。 聞きます。聞かせて下さい。あなたの気持ちを・・・。 2021年1月卵巣がんステージ3と診断 同年2月 手術をおこなうも、原発巣の摘出を断念し、TC両方を5クール 同年6月 原発巣の摘出その後、TC両方を3クール行い、経過観察へ 2022年10月 リムパーザとアバスチン併用の維持療法にも関わらず、再発 同年11月 TC療法中にアレルギーを発症し、脱感作でTCを5クール実施 2023年4月 経過観察へ 同年7月 再再発 同年8月 治験に参加するも、治験薬に外れドキシルを6クール実施 2024年6月 治験としてCAR-T療法を実施 同年10月に増悪が確認 現在は完治を目指して治験を中心に治療法を探している 【プーヤンさんのブログ】 卵巣がんステージ3~未就学児2人を連れて~ https://ameblo.jp/miki-okara 家族構成:私、夫、子供2人 ●対応可能な曜日と時間帯 平日/9:00~14:00 、21:00~22:00 土曜/16:30~17:30、21:00~22:00 日曜/9:00~11:00 、21:00~22:00 関連ワード:卵巣癌、卵巣がん、卵巣ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
和食店大将、卵巣癌で女将を亡くし1人で生きる
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・終末期の心構えと準備、接し方、向き合い方 ・和食料理人として治療中の食事について ・闘病中の仕事について ・亡くなってからのやらなければならない事、遺産相続や諸手続きなど、現実問題と遺族として心の持ち方 ・介護問題や親族との付き合い方 ・発症してからの向き合い方 ・民間医療や自由診療、経済的な現実問題 ●小カテゴリー ・ステージ4卵巣がん腹膜播種について ・再発後の心の持ち方 ・癌患者の運動と栄養について ・情報収集について 私は料理人一筋で30歳で独立。一時期は2店舗を経営していましたが、リーマンショックを経て接待需要が激減しました。その頃に妻と知り合い、何かに導かれるかのように歓楽街から住宅街に移転。妻と結婚し、二人三脚で和食店を営んできました。 東日本大震災もありでいろいろと苦労はありましたが、先を考え小さな今の店に移転し夫婦2人で頑張ってきました。2人の間に子どもはいません。 妻の母も80歳を過ぎて認知症進行や転倒による左腕骨折、糖尿病発症、すい臓がん手術などもあり妻は日々の介護しながら仕事もこなす生活となりました。 妻は50歳手前でコロナ禍が始まった2020年2月ごろから体調不良を訴え始め、最初は 膀胱炎かな?と自ら疑っていましたが、街のクリニックを受診するもコロナ禍の中で誤診やら検査すら進まずたらい回し状態、体調は悪くなる一方、卵巣に腫れがあると診察されるも癌のPET CT検査までなかなかたどり着かず、かつて妻が院長秘書をしていた病院長に相談し紹介でようやく大病院での検査をねじ込んでもらいました。 そこで、ようやく2020年5月末に卵巣がんステージ4、腹膜播種、リンパ節転移の診断結果が出ました。放っておけば3か月持たないと宣告され、三日後から待ったなしの化学療法治療がスタート、9月に入院し原発巣である卵巣全摘出手術をし無事に成功しました。 私自身も覚悟を決め、妻の食事管理から通院治療の送りなど仕事をセーブ。生活は一変しました。体力の回復を待って年内また化学療法(パクリタキセル、カルボプラチン、アバスチン)の3週間おきの4回投与治療。 翌2021年からは毎月の経過観察と分子標的薬ゼジューラ服用による治療継続治療。 自らも水素水吸入器を購入し愛用したり、ひまし油湿布やバドガシュタイン鉱石、丸山ワクチンをうけたり、民間療法も取り入れてきました。大人の休日倶楽部に入会し、妻は一人であちこち温泉湯治、聖地と言われる玉川温泉にも足を運んだり、治療中であっても副作用が収まったころには、夫婦であちこち贅沢な旅を満喫し、美味しいものも食べてきました。癌が発覚してから後悔無いよう精一杯人生を駆け抜けてきた自負はあります。 ずっと再発転移もなく順調かと思われた2023年の2月に蕁麻疹などの症状を訴え、検査の結果、再発。初発の時と同じ化学療法治療を行いそれなりの効果はありましたが2023年12月に再再発。治験の話もありましたが、遺伝子検査などの結果、なかなか合うような治験が見つからなかったこともあり、まずは標準治療としてドキシル単体の化学療法治療を行いました。 しかし、思うような治療効果は得られず、また治験の話も出て主治医の紹介という事で紹介状も持参し別の医療機関も尋ねましたが、治験の為の休薬1か月半の無治療状態の中、更にどんどん病状は悪化し治験治療はリスクということで、2024年4月からパクリタキセル単体での治療を3回行いつつも効果は得られず。衰弱の一途を辿り5月に入院。その月に53歳で亡くなりました。 妻がずっと介護していた妻の母も88歳にして何と同じ日の同じ時刻帯に自宅にて心不全にて亡くなりました。血がつながっていても嫁ぎ先が違うため、宗派の違いで2人同時に葬儀を行えず、葬儀の段取りに難儀したことや妻よりも数分遅く義母が亡くなったことも相続手続きなど複雑で厄介となりました。 納骨や新盆くらいまでは本当にやらなければならないことが次々出てきて、大変で悲しんでいる間もないくらいでしたが、秋の彼岸を終えた頃くらいから喪失感にもさいなまれました。 まだまだ気分的にも波がありますが、前を向いて妻や義母の供養をしつつ日々暮らしています。「他人に優しくしてあげて。私が生きた証を残してほしい、亡くなったら貴方がブログを書いてほしい」との遺言に従い私自身が妻のブログを引き継いで更新しています。詳しくは後述記載のブログを読んでいただければと思いますし、何か少しでも皆様のお役に立てれば妻がYouTubeチャンネルやブログを始め続けてきた思いにも応えられるのではないかと思っています。 ご家族やパートナーが末期癌に侵され終末期を迎えるにあたり、どのように過ごしていったら良いのか? また、不幸にも亡くなられた後、どのような心持ちで生きていったら良いのか? 妻と知り合ってから今まで、ずっと何かに導かれたかのように逆らえない運命の中で生きてきたようにも感じています。今後も妻や義母が見守ってくれているような気もしながら、何か残りの人生の中で与えられた使命のようなものを探しながら生きています。 セッションでは、クライアントの方に寄り添った時間を提供できればと思います。 私 現在、独り暮らし 妻 卵巣がんのため2024年5月に他界 義母 糖尿病および認知症ほか在宅介護状態も妻と同日ほぼ同時刻に心不全で他界 【キヨキヨさんのブログ】 巣がんステージ4~女将の明るい闘病記 https://ameblo.jp/meidono-miyage ●対応可能な曜日と時間帯 祝日を除く月~金曜/8~11時 関連ワード:卵巣癌、卵巣がん、卵巣ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
出生前診断を受け中期中絶を選んだ未来
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・出生前診断を受けた経緯 ・病院選び ・中期中絶の流れ ・中期中絶後の心境 ・悲しみの乗り越え方 ・周りへの報告、反応 ●小カテゴリー ・NIPT検査 ・羊水検査 ・火葬について ・費用について 30代の女性で夫と2人暮らしをしています。 私は妊娠16週に出生前診断を行い、 我が子に染色体異常である18トリソミー(※解説後述)が発覚。 18週で中期中絶を行いました。 "一応受けておこう"と軽い気持ちで受けた 出生前診断での"陽性"という結果で、 順調だった妊婦生活が、一気に絶望へと変わりました… 中期中絶がどんなものなのかも知らず、 まさか自分自身が経験するとは思ってもいませんでした。 何千分の1の確率でなぜ私が??? と何度も思っては、苦しみました。 陽性と分かった悲しみ、 産まないことに対しての批判、 中期中絶への不安、 赤ちゃんとお別れする辛さ、 小さくても体のパーツはしっかり出来上がっていた赤ちゃんの鮮明な記憶、 出産と同じように産まないといけない痛さ、 短期間でさまざまな思いを経験しました。 でも、私は出生前診断を受けたことに後悔はありません。 先に分かったことで、自分たちにとって、 最善の選択をすることができたから。 そして、悲しみを乗り越え、 今を生きることができているから。 "18トリソミーの発覚" "中期中絶" "胎児の火葬" "赤ちゃんとのお別れ" 周りに経験している人なんていなくて、 わからないことだらけで、必死にネットで情報をかき集めていました。 あの時、経験をした人に相談できていたら… 私の経験したことをお話することで、 今一人で同じように思い悩んでいる方に 寄り添うことができたらと思っています。 ※18トリソミー症候群とは…18トリソミーは、余分な18番染色体によって引き起こされる染色体異常症の一種で、知的障害と様々な身体的異常がみられます。 【マリカさんのブログ】 30前半女の壮絶マタニティライフ。 https://ameblo.jp/jinseiiroiroaruyonen/ ●対応可能な曜日と時間帯 月、水、金、日※時間はクライアントに合わせます。 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
大逆転!不妊から5人年子を実現したタイミング法の秘密
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・タイミング法のポイント ・妊娠しやすい体づくり ・年子育児のメリットデメリット ・夫婦仲の秘訣 ・産み分けについて ●小カテゴリー ・排卵検査薬の使い方のコツ ・不妊検査の内容とその先の流れ ・妊娠しやすくなる生活習慣 ・夫が2年間連続で取得した育休について ・年子育児の日常 ・夫婦仲(セックスレス)改善 ・産み分けの具体的なトライ方法 2018年、25歳の結婚当初は 避妊しなければいつでも妊娠できるものだと思っていました。 「子どもは3人欲しいね」と夫と夢を描き 念願のマイホームは子ども部屋を3部屋作りました。 そこから、1年間の不妊期間が続くとは 当時は予想もしていませんでした。 なかなか授からない。 タイミングの取り方が分からない。 夫婦で不妊検査を受けると、 私の卵管の片側が詰まっていることが分かりました。 どれだけ勉強しても どれだけタイミングを取っても 毎月訪れる生理… 真っ白の妊娠検査薬を 何本も何本も穴が開くほど眺めました。 「愛する夫を父親にできないかもしれない」 「永遠に授かれないのかもしれない…」 まるで出口のないトンネルにいるような不安から 夫へ離婚の提案を持ち掛けたこともありました。 妊活のことで頭がいっぱいで いつしか妊活のためだけの事務的なセックスになり 夫婦の間には笑顔が減っていました。 友人や芸能人の妊娠報告を心から祝福できない、 そんな自分も嫌でした。 ですが、 絶対に諦めたくない。 そう心に決めて 本気で妊活と向き合い 勉強と実践を重ねました。 そして1年が経つ頃、 なんと、我慢してきたお酒を解禁した周期に 第一子を授かることができました。 ストレスをかけないことの大事さにも気付かされました。 第二子以降は妊活の大変さを知っていたため 早め早めの妊活を開始しました。 有難いことに そこから4人年子で授かることができ 現在は5人年子の母になりました。 現在は夫と育休を取得して 子育てに励む日々です。 妊活のスタートラインは 正しい知識を持つことだと思います。 そうすれば 自然とストレスは減り 夫婦仲を深めながら 妊活と向き合える人が増えるはず。 私が1年間の不妊期間に抱えた悩みは 多くの方に共通することかと思います。 一人でも多くの方の肩の荷が降りますように お力添えできたら嬉しいです。 【カナさんのブログ】 5人年子ママの妊活記録 https://ameblo.jp/78shirai78/ ●対応可能な曜日と時間帯 平日13:00〜15:00、21:00〜22:00 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。 ※当アドバイザーは報酬を受け取る代わりに、未来アドバイザー運営事務局が当アドバイザー指定の社会貢献団体に寄付いたします。
シングルマザー、大腸がんステージ4でも前を向く
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・オストメイトとしての生活 ・病院選び ・闘病と仕事の両立 ・子供との向き合い方 ・治療方法の選択 ・闘病をサポートしてくれる仲間作り ●小カテゴリー ・障害年金、障害者手帳 ・オストメイトでの性生活や恋愛 ・シングルマザー ・癌コミュニティへの参加 ・抗がん剤 ・放射線治療の後遺症 はじまりは、2019年5月ごろ 夫と別居8年目(離婚調停不成立により)、10歳の息子に手を焼いていた時でした。 毎年健康診断で問題なかったのですが、血便が出ることがあり、近くのクリニックを受診。 41歳の誕生日に、ステージ2の大腸がんの告知を受けました。 病院を出たときの光景は今も忘れられません。 「私1人ががんになったって、たとえ死んだって世の中は何も変わらないよ」。 世間から自分が見放されたような、時間軸から取り残されたような感覚は忘れられません。 こうして突然の闘病生活と子育てと仕事の両立という多忙な日々がスタートしました。 病気になったらまずやることは病院選びです。 初診のクリニックから、おすすめされた病院は遠く、かかりつけの大学病院はありましたが、「癌ってただの病気じゃない、命に関わる病なんだろうな」という認識があったことから、果たして安易に決めていいのかと凄く悩みました。そして、癌の治療に強くて、かつ入院しても私の親が通い易い病院にいくつか絞りました。 そして、最終的には早期に手を打つことが重要だと考え、予約が早く取れた病院を選びました。 この選択は、今となってはとても重要な選択だったと思います。 検査に日数を要しすぎて治療のスタートがなかなかきれないと、とてもストレスになったでしょうし、実際結果が出るまでは、気になって気になって、何も手に付かない日々を過ごしたので、1日でも早くスタートをきれたことはとても良かったです。 それから、検討中の病院のHPを検索して、実績調べをしました。 一番重要視したのは手術の数です。やっぱり手術の回数が多ければ多いほど、熟練度もあがるし、予想外の症例にも対応できるのではないかと考えたからです。 初受診後、一通りの検査を経て、 2019年6月 大腸がんステージ2の診断をうけ、手術を勧められる 2019年6月〜7月 毎日病院に通い、放射線治療を30回、少量の口径タイプの抗がん剤(TS-1)を服用 2019年10月 ロボット支援下直腸支援術&一時ストーマ造設:ストーマの練習もかねて8日ほど入院 ⇒この頃から息子の精神が少し不安定になる。息子は「たった1人のママがもしも居なくなってしまったらぼくはどうなるの?」という不安な日々を過ごしていた。私も心の余裕がなく、息子の心のケアを考えてあげられていなかった。対策として、両親に助けてもらい、息子のお世話をしてもらった。 2019年10月 放射線治療の後遺症で卵巣にダメージがかかり、生理が終わり更年期障害に。 ⇒膣の内側にも放射線があたってしまい、子宮内部の皮膚が火傷のあとの瘡蓋のような状態となり膣も萎縮してしまう。皮膚が固くなってしまうと、女性疾患の検査もできなくなってしまうので、放射線科にて膣トレのリハビリを開始。 2019年11月 術後の病理検査でリンパへの転移があった為、ステージ3へ 2019年11月 8クールの抗がん剤を使用ゼロックス療法開始(オキサリプラチン) ⇒抗がん剤の副作用で、出勤できない日が増えたが、結果的に息子との時間は増えた。3クールまではなんとか元気にやれたが、4クールからガクンと副作用が強くなり身体が動かなくなっていった。投与後数日は、ご飯も食べられず、水もさわれず、ただ心臓を動かすことで体力を消耗している感覚に。もちろん何もできないので、息子の食事や家事は、親や友達がきて助けてくれた。 2020年2月 腸内ガスが膣から出たことにびっくりして病院にかけこむ:直腸膣瘻を発症 ⇒放射線治療で、膣と腸の壁がもろくなり貫通してしまったようで、放射線治療の恐さを実感。1年間の経過観察 2020年5月 ゼロックス療法が終わり経過観察へ 2021年2月 肺に影。左右で5個の転移がみつかりステージ4と宣告 ⇒呼吸器の担当医からは、5個以上肺に転移がみつかると手術はしないルールになっていると知らされる。すでに5個もあると、手術したとしても、時間差で結局また出てくるケースが多いという理由から。抗がん剤治療を勧められるが、完治にかけたいと思い、私が手術を希望。 「あと3ヶ月このまま寝かせて、それでも増えなかったら手術しましょう」ということに。この3ヶ月は生きた心地がせずに、とても不安な3ヶ月を過ごす。 2021年2月 ステージ4に ⇒自分にもしものことがあった時のことを色々考えた。行政に里親制度の相談に行ったりもした中で、籍が抜けていないことが残された息子や親に大きなデメリットになることを知る。息子の親権や私の財産が夫に行ってしまうことを恐れ、籍を抜くために弁護士に相談 2021年4月 弁護士を介して協議離婚成立 2021年6月 CTの結果、5個を維持していたので手術してもらえることに 2021年6月 右肺手術:転移性肺腫瘍摘出 ⇒肺は左右同時にするのは体力の消耗が激しいため、時期をあける。体調もよく術後4日で退院、翌日から出勤。次の手術に備えて肺を膨らますためにランニングを行う。 2021年9月 左肺手術:術転移性肺腫瘍摘出 ⇒同じく術後4日で退院、次の日から出勤、肺が減ってしまって酸素が足りなくなるといけないので、またランニングに励む。 2021年9月 その後、経過観察 2022年4月 右肺にまた転移発覚 ⇒累計6個目になるので手術を断られたらと怯えていたが、「1個なら」ということで手術してもらう。「不思議と、もうこれは希望しかない」と前向きな気持ちでのぞむ。肺の手術自体は3回目になるので、日常の片手間で入院するような感覚だった。 2022年 5月 右肺手術:転移性肺腫瘍摘出 ⇒GWに入院し、術後3日で退院、4日目から通常業務へ 2022年 5月 経過観察 ⇒肺の大部分を失ってしまったので息切れがひどくなり、ランニングで残った肺を膨らませることに励む。その後、大腸検査をした際に腸が萎縮してカメラが入らなかったことから、腸が使い物にならないかもしれないのでストーマの閉鎖を断念。 2024年 現在、原発のロボット支援下直腸支援術から5年以上経過 ⇒同じ消化器系がんの方たちとの情報交流サイトの立ち上げプロジェクトを知り、少額寄付をしたことがきっかけで、代表の方と交流。自分の経験を誰かに伝えたり聞いたりすることは、同じ道をこれから歩む人たちへの一助になることを実感する。 がんになると、やることが沢山あります。 絶望に浸る暇もないくらい、検査や考えることが多くて大変です。 その中でも、重要なターニングポイントもたくさんありました。 病院選びに始まり、仕事か治療の選択、手術の選択、ストーマを付けるかどうかの選択など、本当に多くの選択を強いられます。 私の場合、ストーマを付ける際、一次ストーマか永久ストーマか手術の当日になっても決めきれなくて、結局一次ストーマにしました。 しかし、こちらは今思えば選択を見誤ったかなぁと後悔しています。 見誤った理由として、当時は、一番大事な命さえ助かれば他はなんでもよかったという気持ちが強く、2番目3番目のことを何も考える気持ちが起きなかったのです。 一次ストーマから永久ストーマに変更できるという知識はもっていましたが、使わない臓器は体内で劣化していくことを考えていませんでした。そして、結局永久ストーマに変更するタイミングを失い、使用できない臓器が体内に残ってしまうという結果に。 そして、臓器がある以上、そこに癌がまたできるかもしれないというリスクだけを抱えることになってしまいました。そんな結果になるなら最初から永久ストーマで決断しておけばよかったと後悔しています。 ひとつ経験してわかったこと。 これは私の考えですが、人の心はずっと絶望でいつづけることはできないということ。 下がるまで下がったら、あとは上がるしかないのだと。 人にはどんなときだって、その中で前向きに生きたいという本能があるんじゃないかと思っています。 それに、今の医療の発展のスピードは目覚ましいです。 いつだって今が最新で、今が一番医療が発展してる。 だから今でよかった、ラッキーだったな!って思うことも大事だと思います。 私とのセッションは、前を向くきっかけが欲しい人には特にマッチするはずです。 不安でいっぱいの時、 少し気持ちが上向く時、 やっぱりだめなとき、 もう頑張れない頑張りたくないと思う時、 健康な他人が恨めしく思う時、 そんな自分が嫌になる時、 ただ人に不安を聞いてほしい時、 気持ちが散らかって大変な時がたくさんあると思います。 そんな時に、私もたくさん人に話を聞いてもらって 乗り越えてきました。 私の経験したことが、情報面でも気持ちの面でも 一人でも多くの方の一助になれますように! 【ミーコさんのブログ】 大腸癌ステージ4 病気の多い人生だけど、息子と2人で楽しく生きてる。 https://ameblo.jp/shokonoron ●対応可能な曜日と時間帯(これを基にクライアントが3つ候補日を出してきます) 月・水・金・土の20時以降、日曜祝日は時間要相談 関連ワード:大腸癌、大腸がん、大腸ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
「闘病人生」腹膜播種で余命を聞いても今を生きる
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・余命が分かったあとの生き方 ・自分が体験した治療内容 ⇒手術:円錐切除、子宮全摘(腹腔鏡手術)、膣壁切除術(腹腔鏡手術) ⇒放射線治療:ラルス5回 ⇒化学療法:パクリタキセル、カルボプラチン、キイトルーダ、アバスチン ・治療中の副作用などの話 ●小カテゴリー ・子どもへの病気の伝え方 ・緩和ケア選び 現在40代前半で、30代後半に入り、子宮頚がん検診で軽度異形成で陽性が出たので、HPV検査をしたら高リスク58型と言われました。これは癌になるリスクが高いらしく、注意が必要なので半年に1回検診で通院してました。 39歳頃に子宮頸部に軽度異形成から中等度異形成になり、近所のクリニックから癌拠点病院に転院。円錐切除と言う手術をしました けれどすぐに異形成が再発したので 今度は子宮全摘をしましたが1年半で膣に異形成が再発。また手術し病変を組織診で調べた結果ステージ1の膣癌と言われました。膣癌は希少がんと言われ、手術しようとしても私は子宮がないのでかなり難しく出来る医者も少ないと説明がありました。なぜ難しいと言うと子宮があると手術の際に伸縮するのですが無いのと一度手術しているので体の内部が硬くなっているので難しいのです。 前回は異形成で癌ではないらしく、細胞を調べたら違う癌細胞みたいで初発は膣癌になるのか、はっきりとわからないと言われました。 希少癌なので全国でも症例が少なく、症例数があるがんセンターに転院をしてラルスという特殊な放射線治療を開始しました。 その後3ヶ月に1回の経過観察でしたが、膣癌の手術から2年後に腫瘍マーカーがじわじわ上がり始め2023年4月にPET検査で腹膜播種が見つかりました。 ステージ4になり、抗がん剤治療しか出来ないと言われ治療開始。パクリタキセル、カルボプラチン、キイトルーダ、アバスチン開始。9クール終了し、その後はキイトルーダ、アバスチンのみの維持療法継続中です。 治療を通して1番辛かったのは、膣癌の手術が終わって病室に帰ってきて麻酔が切れて夜中に痛すぎて寝れなかった事です。2度と手術はしたくない!と思ったほど辛かったです。抗がん剤より辛かった… 異形成が見つかり、癌になりたくない一心で早期から治療を頑張って来たのにまさか5年でステージ4になるとは思ってもいませんでした。 ですが、ステージ4になったからこそ見える世界もありました。 現在、がんセンター以外に他院の緩和ケア外来に通っています。そこでは心のケア、痛みの緩和などを診てもらってます。 再発当時はもう私は死ぬんだ!と死ぬことばかり考えてネットで 毎日泣いてネットで腹膜播種というワードを検索ばかりしてかなり重度の鬱にもなりました。 鬱になり終活を始めようと自分で緩和ケアを探し始め死ぬ場所を探す為に緩和ケア病棟のある病院を見つけて外来通院を始めました。がんセンターは治療する場所で緩和ケア病棟はなく、最終的には緩和ケア病棟のある病院に転院になるので早期に通院する事で医者と心を通わせる事で穏やかな最期を迎えれるのではないか?と考えました。 緩和ケアで適切な薬を処方してもらい、話を聞いてもらう事で心が穏やかになり心身共に穏やか、痛みも軽減されかなり楽に過ごせるようになり先生のおかげで1日1日を大事に生きるにはどう過ごせば良いか、生きる大切さ、自分は何の為に生きるのか?が少しわかった気がします。 私は生まれつき両足の股関節脱臼で小さい頃から通院してました。12歳、23歳で2度の大手術し、出産も股関節と子宮の奇形の事もあり帝王切開でした。癌の治療も含めたら7回の手術、放射線、化学療法と44歳で中々の経験をして来たと思ってます。 私は結婚、出産は早い方だったのですが子育てが落ち着いたら主人と「2人でキャンプ行ったりゆっくり過ごしたいねー」と行ってましたがこんな事になってしまって本当に悲しくて。けれど再発してから家族が自然に本当に優しく接してくれて、その優しさに触れて私は主人と子供達に出会う為に生まれて今まで生きて来たんだ!と思いました。 私が死んだ後も残された人達は人生は続いて行きます。その人達の為にも最期まで私らしく笑って過ごし命を精一杯生きないと! 皆の心の中で笑ってる私の姿を残したい!と思うようになりました。 命の期限がわかったからこそ、「自分には何が出来るだろうか」と考えます。未来アドバイザーとして、1人でも誰かの役に立てれたらと思っています。 ●対応可能な曜日と時間帯 月曜日から土曜日まで14時から22時まで※通院日以外 【マルママさんのブログ】 子宮頸がん異形成から4年。2年後に希少がんの膣癌になり現在腹膜播種でステージ https://ameblo.jp/marulove1025/ 家族構成:夫40代、子供2人(高校生、大学生)、犬2匹 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。 ※当アドバイザーは報酬を受け取る代わりに、未来アドバイザー運営事務局が当アドバイザー指定の社会貢献団体に寄付いたします。
サウナ温泉、乳がんで乳房を失くしても堂々と
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・乳房がない悲しみをどう受け入れるか ・浸潤性小葉がん ・同時再建術 ・リンパ郭清 ・入院生活を快適にするコツ ・抗がん剤の副作用体験談 ●小カテゴリー ・入院生活を前向きにするコツ ・痛みや恐怖を和らげるコツ ・告知から手術まで不安を減らすコツ ・自分で自分を励ますコツ 初めまして。 49歳のカオリです。 職業は、料理教室を主宰しています。 あなたは今、乳がんだと告知されて不安でここにたどり着きましたか? あなたの心が少しでも明るく・前向きになるお手伝いができたらいいなと思ってます。 『体が健康じゃなくても、心が健康なら健康。心まで病人らしくする必要はないんです』 一緒に心を軽くする方法を見つけましょう。 私は、乳がんになってから以前よりも幸せを感じる機会が増えました。 『足るを知る』という言葉をご存知ですか? 足りてないものを数えるよりも、足りてることに感謝をすることで 病気の辛さも軽減されることも、乳がんが私に教えてくれました。 私は、梅宮アンナさんと同じ『浸潤性小葉がん』にり患しました。 サウナ大好きな私は、手術が終わったらまた胸があって欲しい!と思い 全摘手術と同時再建術を選択しました。 『自分の体の組織(腹部)を使うのだから、術後に問題なんて起こるわけない』 同意書に小さく書かれてる術後の合併症なんて 自分に起こるわけないと思ってましたが 移植した組織が壊死してしまい、全摘・同時再建術の翌日に再手術。 それでも再び細胞が壊死してしまい、3度目の手術をしました。 「手術したら全摘した右胸は再建で元通り!」 という私の予想は大外れで、2週間の予定の入院生活は1か月に及びました。 それでも、私は入院生活がとても楽しかったし 今の自分の再建できなかった胸を見て 『かわいそう』とか『みっともない』なんて思いません。 むしろ、頑張った証・勲章だと思ってます。 だから、大好きなサウナや温泉も胸を隠さず 堂々と入ってます。 もし、あなたが温泉好きで、手術したら諦めないといけないと思ってたら 全然心配することないですよ。 私は今、抗がん剤治療で髪の毛も全くないけど それでも工夫して温泉とサウナ楽しんでます。 現在は再発予防のため、抗がん剤治療中です。 私は、抗がん剤治療を始めてから、前述した 『足るを知る』をより深く感じることができました。 抗がん剤治療は確かに辛いこともたくさんあります。 しかし、人は満たされてる時よりも 辛いことや悲しいことがある時こそ、 足るを知るを体感できるのではないでしょうか? 乳がんにかかったという現実を ただのつらい経験で終わらせるのか それともそこに何かしらの意味を見出して成長の糧とするのか あなたはどちらを選択しますか? 2人で一緒に前向きに考えていきましょう。 乳がんの人が1人でも笑って暮らせるように。 ブログを毎日投稿しています。 乳がんが私に与えてくれた幸せな毎日 https://ameblo.jp/osm1543301 ブログには私がこれまで感じたことを綴っています。 ぜひブログを読んでいただき フィーリングが合うな!と思われたらお申込みください。 【病歴と治療歴】 2024年2月16日 乳がんを告知されました。 浸潤性小葉がん 患部右胸 ステージ2A 腫瘍の大きさ1.3㎝ 腋窩リンパ節転移あり Ki67 30% ホルモン受容体 陽性 HER2 陰性 2024年6月5日 乳房切除術+再建手術 遊離皮弁術 2024年6月6日 胸部 血腫除去術 2024年6月27日 右胸部 デブリードマン 1か月の間に3回 全身麻酔による処置を行いました。 2024年9月10日より 抗がん剤治療スタート ddEC療法 4回 ddパクリタキセル4回 オンコタイプDX RS 21 5年遠隔再発率 9% CT上乗せ効果 2.7% ●対応可能な曜日と時間帯 月曜・火曜・水曜 10時~20時 関連ワード:乳癌、乳がん、乳ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
物心がついた頃からゲイだと自認し生きる
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・LGBTQであることを自分で受け入れること ・LGBTQでない方へカミングアウトすること ・LGBTQのコミュニティへ属すること ●小カテゴリー ・自分自身のセクシャリティを受け入れる事に対する困難さと可能性 ・家族(両親)・友人・同僚などへのカミングアウトする時の判断と配慮 ・LGBTQコミュニティに属することで得られる安心感と苦悩 私は、思春期を迎えた頃から「男性が男性を好きなる事」に対して、様々な葛藤と苦難を経験してきました。 大学に進学するまで、いわゆる限界集落に三世代家族で住んでいましたが、当時、LGBTQに関する情報を見聞きすることがまったくなく、「私は異常者だ」「これは誰にも知られてはいけないことだ」「私がこんなふうに育ってしまって両親に申し訳ない」など、自分自身の中で解消できない自問自答の日々を送っていました。 思春期の頃に自分自身のセクシャリティがマジョリティではない事に気づいた経験をお持ちの方は、同じ様な思いでおられたのでは? 高校生3年生の夏、都市部にある進学塾の集中コースへ通うことになり、帰宅のバスを待つ間、とある書店に入り、ゲイ雑誌を手に取ったところから「自分以外にも同じセクシャリティの人がいる!」「自分はこのまま存在し続けても良いかもしれない」「しかし今住んでいるところでは、自分以外のゲイに出会うことはない」と思うようになり、近県の大都市にある大学へ進学することを決め、みごと地元を脱出することに成功しました。 そして初めてゲイバーに行き、そこで知り合った方々と仲良くなったことで「ゲイコミュニティデビュー」を果たしました。また、パートナーもできたりし、地元や両親から開放された感覚で、学生生活を謳歌しました。また、大学の同期などにも、少しずつカミングアウトし、周囲の人達に私の存在を認めてもらえる、という幸福感を味わっていました。 初めて同じセクシャリティの仲間に出会えたことの喜びって大きいと思うのですよね。 しかし、就活をする時期になり、再び葛藤を持つようになりました。地元に帰るべきか、それともしばらくは両親と離れたまま暮らすべきか。 私は、後者を選びました。 当時、就職後のキャリアアップのために、仕事をしながら夜間の大学に通ったり大学院に入学したりと、「親と離れて暮らすための口実」を作りながら、両親とは「向き合わない」選択をしてきました。 親との関係性…難しいですよね…そう思いません? いくつかの職場を経験し、私はゲイであることを周囲の方々にカミングアウトしてきましたが、幸い人に恵まれ、誰一人として私のことを拒絶することはありませんでした。そしてその事にありがたさを感じながら生活をしておりました。 しかし、父が認知症となり母が一人で在宅介護をするうち、いよいよ、母一人では介護が難しくなり、私は実家に戻り、母と一緒に父の介護をすることを決意し、一時的ではあるものの両親と一緒に暮らすことになりました。しかし私は「ゲイであることを隠し続けながら一緒に暮らすことは、ウソをつき続けているようで後ろめたい」と思い、母にカミングアウトしました。 セクシャリティを隠し続けることに罪の意識を感じるって、よくあることだと思うのですが…皆さんはいかがです? その時、母が受け入れてくれたかどうかは分かりません。カミングアウトした時も、何とも言えないような表情でしたし、今までその話題をしてきませんでした。 父は他界し、地元では母が一人暮らしをし、再び私は地元を離れ、都市部で一人暮らしをしています。しかし、今もまだ、母とは私のセクシャリティについて面と向かって話ができずにいます。そう、モヤモヤ継続中です。 自分がLGBTQだと自認してしまうと、様々な苦悩が生まれると思います。それは人間関係であったり、住んでいる場所の問題だったり、こころの負担であったりだと思うのですが、その様々なことについてお伝えできれば、と考えております。 ●対応可能な曜日と時間帯 月~木:9:00~12:00・18:00~21:00 土:9:00~12:00 (祝日も対応可) 関連ワード:セクシャルマイノリティ、セクマイ、LGBT この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
双極症Ⅱ型(双極Ⅱ型障害)と診断され生きてきて
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・精神科・心療内科を受診すること ・こころの不調をかかえたまま仕事をすること ・自分自身のこころの不調の特徴を把握すること ・利用できる社会福祉制度 ●小カテゴリー ・こころの不調に気付き受診する時の心構え ・主治医や医療従事者と上手く付き合っていく方法 ・休職する際に知っておいたほうがいい情報 ・こころの不調を抱えたまま働くための心構え ・こころの不調を抱えたまま転職する際に考慮すること ・自分自身のこころの不調の特徴を相手にわかりやすく伝える方法 私は、2000年代始め、様々なストレスからメンタルダウンを経験し、精神科にて「うつ病」との診断を受け、服薬と心理カウンセリングにて治療を開始しました。 最初のメンタルダウンを経験した際、仕事を1ヶ月ほど休職しました。そして復職した時には「もう完全に治った!」と思い込み、自己判断で通院も服薬も心理カウンセリングも全てやめてしまいました。 これはやっちゃいかんこと、やっちゃったんですよ…こんな経験、ありません? しかし案の定、3ヶ月後に再発。再び1ヶ月の休職を経験しました。抗うつ薬や睡眠導入剤を服薬し、月に1度の定期診察と心理カウンセリングを受け続けてはいましたが、月に一度くらいのペースで、寝起きの抑うつ感が強く病欠をする、ということを繰り返していました。 当時の職場には、私と同じ様にうつ病を抱えておられる職員もおり、こころの不調に対する対応はとても寛容的ではありましたが、諸事情により退職してしまいました。 それ以降、転職をするのですが、新しい職場になる度に「今度は絶対にこころの不調で休職はしたくない」「採用していただいたからには全力を尽くしたい」「しがみついてでもここで働き続けよう」などの強い思いが影響し、逆にそれがプレッシャーとなり、結局また休職をしてしまう…そんなことを繰り返していました。 これは今の私が思うに、もちろん「うつ病」という病が影響しこころの不調に陥ることもあったかと思います。しかし一方で「人からの評価を気にしすぎる自分」「弱音を吐くことは恥ずかしいこと」「相談することは周りの人に迷惑をかけること」という意識が働き、自分で自分の首を締めていたと思います。 これって見方を変えると「真面目」「誠実」みたいな言葉に言い換えられると思うのですが、自分の素直な気持ちを人に伝えるって大事だと思いませんか? 2010年中頃、諸事情により主治医を変えることになり、今までの私の体験から服薬しているお薬の見直しをしました。そして新たに処方されたお薬を服薬し始めてすぐ、言葉では表現できないような焦燥感や落ち着きのなさなど、今までに感じたことのない感覚に襲われ、主治医に相談したところ「双極症Ⅱ型」という診断になりました。 改めて双極症Ⅱ型として療養生活を始め、一見、調子よく思えていたのも束の間。先程、書きました私の少し歪んだ意識は相変わらずあり、結局、メンタルダウンをしてしまいました。 当時の職場では、こころの不調を抱える人に対してかなりドライであり、また、病欠が重なることで周囲からの信頼感はなくなり、表面上、仕事を上手くこなしているようにはなりましたが、同僚からは、明らかな対応の区別を受けるようになり、またそれがこころの負担となり、休職後そのまま退職致しました。 信頼感を失うって本当に辛い…「自業自得」と思う反面「こころの不調についてちゃんと理解してほしい!」と思ったり思わなかったり…そんな経験、ありませんか? 実は最後の休職中、私は何度となく自分を呪い、そして私が周囲に与えていた影響を思うと、自分が自分で許せなくなり、いっそのことこの世から消えてしまいたい…一時はそんな気持ちでいて、それを実行しようと計画まで立てたことがあります。 しかし、ふと考えた時、自分の人生はまだ終わりではない、自分で自分の人生を終わらせてしまうことで更に周りの人たちに迷惑をかけてしまう、それはボクの本望ではない、と思い始め、個人事業主となり改めて人生の再設計をすることに致しました。 そして初めて、こころの不調を抱える人のためにある福祉制度を利用し、多くの方々からの支援を受けきました。 もしかして様々な福祉制度があることを知っていて、自分がその対象だと分かっていても、その一歩が踏み出せない…そんな方もおられると思います。 私はこの様に失敗を何度となく繰り返しながら生きてきました。しかしその都度得られたものは大きい!と思っておりますので、一度、お話を聴いてみませんか? ●対応可能な曜日と時間帯 月~木:9:00~12:00・18:00~21:00 土:9:00~12:00 (祝日も対応可) この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
家族の力で支える摂食障害や不登校
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・入院生活 ・食生活 ・不登校 ・家出・家庭内暴力 ・家族にできることとできないこと ●小カテゴリー ・病院選びや入院 ・退院してからの生活 ・学校との連携について ・毎日の食事作り ・身体は病院・心は家庭で治す心構え ・寄り添い方、声掛けなど 2020年10月、コロナ禍の中16歳の次女が摂食障害と診断されました。 軽い気持ちで始めたダイエットから 4ヶ月後には体重が13㎏減り、身長157㎝で体重31.5㎏ 命の危険がせまっており精神科に医療保護入院。 入院中は食べる練習をして3食食べるようになりましたが体重は微動だにせず。 娘の強い希望で1か月で退院。自宅で体重を増やすことになりました。 ここからが本当の闘いでした。 不登校・家出・家庭内暴力、 摂食障害は私たち家族を巻き込み、 出口のない真っ暗なトンネルの中さまよってるようでした。 あれから4年。 現在娘は高校を卒業し大学生2年生。 出口へ向かって歩いています 摂食障害に特効薬はありません。 複雑で難しい心の病気です。 「全部ママのせいだから!こんな病気一生治らない」と泣き叫ぶ娘に ただただ食べてほしくて泣いてひざまづきお願いしたこともあります。 食べることを強要すればパニックになり暴力や暴言、家出して警察のお世話にもなりました。 少しでも明るい気持ちになればと、彩り良く作ったお弁当のおかずは庭やゴミ箱に捨てられ何を作っていいかわからず買い物先のスーパーで泣いたこともありました 体当たりで娘の病気と闘って身も心もボロボロになり 理解してくれる人も皆無で孤独との闘いでした。 でも乗り越えた先に見えた世界は病気になる前より輝いて見えました 今摂食障害に苦しんでるご本人・ご家族が 同じ境遇だった私に苦しい思いを話すことで 気持ちが楽になり前へ進む勇気を持っていただく機会になればと思っています。 お話をお聞きすることがメインになりますが 質問やご希望に臨機応変に対応していきたいと思います 【ヒマワリさんのブログ】 摂食障害の娘が伝えたいこと https://ameblo.jp/nnrn34002000/ 家族構成:夫(50代)、私(50代)、長女(20代)・摂食障害を患った次女(20代) ●対応可能な曜日と時間帯 木曜日/19時~21時 土曜日/16時~18時 日曜日/午後 その他平日の遅い時間(21時30分以降) この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
ヤングケアラーだった私~介護の本音~
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・介護の本音 ・ヤングケアラーの体験談 ・介護と家族関係 ●小カテゴリー ・介護の辛い、苦しいなどの本音 ・ヤングケアラーとしての気持ち ・大人、親になった今、あの頃を振り返ってどう思うか ・家族関係と介護はどう影響するのか、私の家族関係はどうだったのか 中学三年生のある日、私は毎日楽しい学校生活を送っていました。 しかし、突然、父が脳梗塞になったことで、私の人生は大きく変わっていきました。 私は、今でいうヤングケアラーになりました。 学校の帰り、友人と遊ぶことになり、母に連絡しましたが、連絡がつきません。いつもはそのようなことはないので、胸騒ぎがしつつも『また後で連絡しよう』と、遊びに行きました。帰宅前にもう一度連絡を入れますが、連絡が取れない。不安になりながら帰宅すると、母からの置き手紙がありました。 『お父さんを病院へ連れて行っています』と。 間もなく帰宅した母から、その日、父は職場で体調に異変が出た為、病院へ行き、入院したと聞かされました。病名は〝脳梗塞〟でした。 次の日、学校から帰宅してから父の病院へ行くと、変わり果てた父がベッドに寝かされていました。点滴を外してしまう為、タオルでベッドに拘束されていました。更に、そのタオルさえもほどこうと歯を使ってタオルを引っ張った為、白いタオルは血まみれでした。 後遺症として認知症になってしまい、状況が理解出来なかったのでしょう。 更に、左半身麻痺、失語症となってしまったのです。 足元から崩れ落ちるような感覚に襲われました。 入院中、母と一緒にソーシャルワーカーと面談しました。そのワーカーは、たった15歳の私の気持ちにも寄り添い、意見を聞いてくれました。私は、ソーシャルワーカーに憧れ、後に専門学校を卒業し、私もデイサービスのソーシャルワーカーとなります。 そして、退院後はサービスを利用しながら母を中心として介護生活が続きました。 母が手が回らないところは、私がサポートしました。私は、子供ながらに、介護のほとんどを母に任せている事に申し訳なさや後ろめたさを感じ、逆に母は子供の私を頼る事に申し訳なさを感じたかもしれません。 やがて心身がすり減り、父に対してこう思いました。『死んでくれたらどんなに良かったか』と。 父は、晩年入退院を繰り返し、介護生活は7年で終わりを遂げました。 現在、私は訪問介護を経営している夫と結婚し、3人の子育てをしながらヘルパーをしています。もしも、父の介護がもっと続いていたら、今の私はなかったかもしれません。 これまで、仕事を通して何十件と介護されるご家族様にお会いしてきました。その中には、身を削る思いをし苦しまれる方が多くいらっしゃいました。 身体は不自由だけど、わがままばかり言ってくる、 認知症で暴言暴力があって辛い、徘徊があって目が離せない・・・ どんどん機能を失う家族を見るのが辛い・・・ 認知症の夫を介護していた奥様がいました。とてもニコニコして穏やかな奥様でしたが、ある日にこやかに言いました。『夜中に主人が包丁持ち出して叫ぶんです。いつか殺されるかも』と。その奥様は、精神を病んでしまい入院され、認知症のご主人は施設入居となりました。 にこやかな裏には、壮絶な介護があったのです。もしかしたら、にこやかにしている事でなんとか自分を保っていたのかもしれません。 懸命に向き合えば向き合うほど介護は自分を闇に引きずり込むのです。 介護とは出口が見えないトンネルを歩き続けているのと同じです。疲れて当然だし、出口が見えないのですから、不安にもなります。 怒鳴りたくなることもあるでしょう。 投げ出せたらどんなに良いか。 介護殺人のニュースを見聞きしたら、その気持ちが痛い程わかることはありませんか? 介護は悩みが深い分、なかなか人に相談出来ない、本音を言えないということがあると思います。 私はその経験を経て今があります。 そんな私に、辛い気持ちを話してみませんか? 他人にはなかなか話せない、でも誰かに話したい、話しても大丈夫?とモヤモヤされている方に寄り添って、あなたの悩みが少しでも軽くなるように、お話をお聴き致します。 【イヨさんのブログ】 超高齢社会でヘルパーしてます! 〜アラフォー主婦の物語〜 https://ameblo.jp/sz-mk0619/entry-12878095267.html ●対応可能な曜日と時間帯 月/9時〜11時 火/14時〜15時 水、土、日/20時〜21時 ※その他相談に応じます。 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
腎臓がんで余命を告げられても人生ポジティブに
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・家族との関わり方(病気との向き合い方、余命への理解) ・生活費のやりくり ・余命を告げれられることについて ・病気を前向きに捉える方法 ●小カテゴリー(大カテゴリーより小さなテーマ ・癌を通して家族との関係 ・子どもへの癌の打ちあけ ・仕事の毎日だったが、家での過ごし方 ・入院生活での必需品 ・生活費の見直し ・お金のやりくり ・家族を残して死ぬかもしれない事 2020.9(37歳) 保育士として働き、やりがいを感じ日々充実をしていました。 秋の運動会の頃、仕事が忙しいせいなのか腰の痛みを感じていました。湿布を貼ったりして様子を見ていたのですが、夜中に目が覚めて寝られないくらい痛み始め病院に行きました。 2020.10 最初に行ったのが整形外科、仕事柄のいつもの腰痛ではないかと言われ、MRIは撮りたかったら…と言われ様子をみました。でも痛みが取れず他の科の病院を転々としても悪いところはないと言われ、転々としていました。 2020.11 1か月後また最初の整形外科に行きMRIを撮ってもらうと医者の表情が変わり、大きい病院に紹介され次の日からは検査検査の毎日でした。 脊椎腫瘍の疑い。 と言われ、知らない言葉を沢山言われました。どんな病気なんだろう…と思い、スマホで調べるとほとんど出てこない…。 誰か私と同じ気持ちの方がいるかもしれない!と思いブログを始めるきっかけになりました。 2020.12 背骨に数カ所転移していたのと、腎臓に原発の癌があると言われました。 告知というやつです。 私の第一声が『いつから仕事復帰出来そうですか?』でした。仕事より自分の体を1番に考えて下さい。と先生に言われました。 癌と言われるのではないかと思っていました。でも治療をしたら治るでしょ!大丈夫!前向きに!と思っていたのです。 旦那の方がショックを受け辛そうにしている姿を見て、自分が明るくしなきゃとも思っちゃいました。 最初に治療したのが、背骨のどこかが潰れてしまうと歩けなくなってしまうからと固定術をしました。背骨に8箇所ネジを入れて支えています。 2021.1 放射線治療。 2021.2 腎臓の癌の悪いところだけを取ってもらう手術。 2021.4 化学療法のオプジーボ、ヤーボイを開始。放射線と化学療法の副作用で咳が止まらなくなり、肺炎になり入院。 2021.8 カボメティクスを飲み始める。味覚障害、白髪、肌白、眠気、下痢の副作用があった。副作用はあるものの薬でコントロールをし、長く続けて飲む事ができた。骨に効果出してくれた。リンパへの転移が見られ変薬する。 2024.3 インライタへと変薬する。高血圧になり、そのせいで頭痛にもなり入退院をくりかえす。下痢の副作用もあり。効果があまり見られず変薬する。 2024.11 今はオプジーボの治療中。発熱することもあるが、副作用もあまりひどくなく過ごしている。 出来るだけポジティブ、前向きに考えていると気持ちも上がってくる!癌を治すのではなく、薬を飲みながら共に生きていければ…と、気を張らずに考えて生活しています。 でも、痛みなどで気持ちが下がってさらに痛みが増す事も… 自分の身体と気持ちに素直になりながら生きて行きたい! 好きな事、これからやってみたい事を見つけるのも好きです! 出来そうな事、興味がある事。 これからを大切にしていけたらいいですね。 癌のせいで大好きな仕事を辞めざるを得ない方… 余命を告げられてショックを受けている方… 家族とお別れするかも知れない不安に襲われている方… 人は支え合いながら生きていると思います。私に出来ることの範囲であなたの助けになれたら嬉しいです。 誰かの支えになっていたら…とブログを始めていたので。 どんな形であっても支えられる存在になりたいなーと思います。 よろしくお願いします。 家族構成:旦那(40代前半)、私(40代前半)、息子2人(高校生と中学生)、猫 【スイさんのブログ】 すいの転座型腎細胞癌、骨転移ブログ https://ameblo.jp/yu514yo523/ ●対応可能な曜日と時間帯 月~金/10:00〜16:00 ※土日や夜がいい場合は要相談 関連ワード:腎臓癌、腎臓がん、腎臓ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。