【私が話せること】
●大カテゴリー
・夫のうつ病のすえ、自死による絶望感
・死別後の罪悪感、自責、後悔、怒りなどの悲嘆感情との向き合い方
・悲嘆の苦しみを「見ないフリ」をして長引かせてきたもの
・未亡人になったシングルマザーの気持ち、人を羨む感情との過ごし方
・自分を大切にして生きるということ
●小カテゴリー
・子育て中、父親のことを話すときに気をつけた事
・楽しかった時の思い出に触れた時やトラウマを思い出した時の苦しみ
・周りの人に「自死」って言えなかったこと
・罪悪感は手放していいこと
・死別後どう生きていくかを考えるということ
・恋愛について
自死遺族当事者として私の経験をお話しできればと思います。
2000年9月ごろより、夫は仕事の過労からうつ病を患い、2001年3月入院(当時夫26歳、私26歳、長男1歳、次男妊娠臨月)
夫の退院後、すぐに次男を出産。
その後、夫は心療内科に通って徐々にうつ病は改善しました。
仕事を転々としながら、1年に1度の間隔でうつ病の再発~寛解をくり返していきました。
当時私は、夫の親と同居しサポートを得ながら子育てと仕事をしていました。
将来が不安でこの先、どうやって生きていけばいいのか見えなくなり、いっぱいいっぱいになることもありましたが、誰にも相談できませんでした。
2000年当時うつ病は、今ほど浸透していなくて、夫は「ダメな人間がかかるもの」というイメージが強くて、病気のことを誰にも言わないで欲しい、という事で家族だけで抱えていました。
夫も父親の役割を果たそうと頑張って最期は介護の仕事を覚えて働いていました。
うつ病で休職した後、職場復帰したころです。
病気から出てくる言葉と分かっていても、
生きるのがつらい、死にたいって話す夫に、
なぜ子どもがいるのにそんなことばかり言うの?って悲しくなったりしていました。
夫はとっても辛かったと思うんですけど、家族はもっと「辛い」と言えなくなる
苦しい。誰かに相談したい。仕事先で相談できそうな人を探しても、結局相談できなかった。
そんな日々を送っていたある日、私のストレスが爆発して
「そんなに言うんだったらいっそのこと死んじゃえば」って夫に言い放ちました。
その4日後の2006年1月に夫は自ら命を絶ちました。(当時夫30歳、私30歳、長男6才、次男4才)
そんなつもりで言ったわけじゃないのに・・
「死んじゃえばって言ったから夫は自殺した」取り返しのつかない事をしてしまった。
「私が殺したんだ」という強い自責感、
あの時言わなけば死を防げたという罪悪感でほんとうに押しつぶされそうでした。
自分の事を、なんと無力で、何もできないのだろうと自分の人格すらも否定していきました。
なぜ死んだの?あなただけずるい、子供を残して死ぬなんて!私はどうすればいいの?というものもありましたが、はるかに罪を犯した気持ちが強く
その時から一切の怒りや苦労を封印し、一生かけて罪を償うと心に決めました。
喪失の悲しみも苦しかったけど、アイデンティティの喪失は、その後の自分を苦しめていきました。
子育てしながらも不眠や食欲不振、体重減少、過活動などの悲嘆をしている
そんなある日、
市役所の母子相談員から勧められた母子のための高等技能訓練促進費。
これを利用して資格を取り、ほかの人の役に立つことをすれば
私の罪滅ぼしにもなるのかな・・と思って看護師になろうと決めました。
そして夫の死別から1年後、看護学校に通い始めました。
その頃の喪失の悲しみを勉強に向けることで、その気持ちを(寂しさ、孤独感、怒り、罪悪感、後悔、心慕、疎外感など)紛らわすことができました。
今振り返ると
罪に押しつぶされそうな自分自身を救いたかったことと
アイデンティティの喪失、自己効力感ゼロになった私にとって
世間的に立派なことをするのが、
周りにいい評価をされるのを無意識に求めていたのかもしれません。
そこから看護師になりこの人生で生きていくと決めて迷いもなく子育てをしました。
ときに幸せそうな家族を直視できず、羨ましくもなりました。
でも、夫を自殺に追いやった私は幸せになれないってブレーキを掛け続けました。
子供には、あなたたちがいるからお母さんは幸せ!という姿でいましたが、
女性としての人生はもう無いな、と思って目をつむり、おしゃれも化粧もしなくなっていきました。
時間の経過とともに、夫の喪失の悲しみも薄れていき、私と子供の生活が主になっていきましたが、楽しい思い出の日と同じ日を迎えると悲しくなったり、2人が好きだった音楽や場所、トラウマになったものは避け、感情が湧き上がらないようにしてきました。
そんな中、
看護師の仕事は慣れてきましたが、自分を否定したり、ブレーキをかける事は続いていたので、ストレスを発散するためにと始めた登山で、私の中の世界が広がっていきました。
そして、数年かけて自然と触れ合うなかで、少しずつ自分を取り戻していくことができました。
そして残りの人生を後悔なく生きたいと気持ちが湧き上がり、少しずつ自分の気持ちを素直に受け入れるようになりました。
40代になってメイク道具を買い替えたり、初めて婚活へ挑戦したりして、
5年前に現在のパートナーに出逢い、女性として幸せになっていいんだ、と実感しました。
夫の17回忌が過ぎたころ、息子たちも社会人になり、肩の荷が下りたという感覚が大きく、もう一度自分を見つめ心理学やほか様々なことを学んでいきました。
そして分かったことは
私の思考の「ずれ」が生きづらさを抱えている事、そして自分を否定して愛せていない、セルフイメージが低かったことが生きづらさの原因だと辿り着きました。
女性は太陽。妻が元気だったら夫も元気になる。
当時私は自分を否定し、我慢して不機嫌でいたことで、夫もそれに影響されて自己評価を上げることができず、生きづらさを抱えていたのかもしれない、と思うようになりました。
死別後の悲嘆な感情(否認、絶望、悲しみ、寂しさ、孤独感、怒り、罪悪感、後悔、心慕、疎外感など)を避けても、その当時の感情はずっと心と身体に残り続け、その状態で人生を進んでいこうとしても、自らブレーキをかけていました。
そこから、日々の小さなことを叶えてあげる所からコツコツと自分のいい所を探していき、自分の心と身体を愛おしく愛せるようになっていきました。
バランスよく物事を捉えられるようになると、今まで抱えていた罪から解放され「私だったら大丈夫」って自分に信頼ができるようになりました。
こうやって、こころが解放されて気づいたことは
こころの状態によって、人生の自由度が変わるということ。
ほんとうに、セルフイメージが高いか低いかで、人生の選択が変わる。
自死した本人も一番辛いのですが、
遺された人も傷ついています。
いくら時間が経過していても同じです。
心のしこりや傷を少しでも外に出していくことが、本当の意味で前へ進む1歩になります。
遺された遺族だからこそ、幸せになることが大切だと思っています。
そして何より
お別れした夫やご先祖様たちに、幸せに満ちたありのままの私達の姿を見せることが供養になると思っています。
一見、前向きに生きてきたように見える私でさえも、
このような心の葛藤を抱えて生きてきました。
40分という短い時間ではありますが
・死別後、様々な感情にフタをしてきた方
・罪悪感や自責の思いが消えない方
・周りの人へ話すのを躊躇して、どこか孤立感を感じている方
・死別後、子供をどう育てていけばいいか不安を抱えている方など
様々なパターンや事象があると思いますので、
私の経験はひとつの経験でしかありませんが、
同じような自死遺族という立場で苦しんでいる人達の何かお役に立てれば幸いです。
家族構成:私(49歳)長男(26歳)次男(24歳)
【ユウさんのブログ】
あなたの心と魂の橋渡し☆看護師セラピストゆみっち
https://ameblo.jp/515041/
●対応可能な曜日と時間帯
月火水金/19時
木土/14時~19時
※上記の曜日で、まれに10時~12時、14時~19時可能、応相談。
この未来アドバイザーとセッションをされたい方は
↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。
※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。
※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。
※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。
※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。
※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。