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【がん×仕事】がんになってもキャリアを諦めない
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・私の乳がん体験 ・がん罹患を周囲に公表するメリット/デメリット ・治療しながら仕事をするということ ・がん患者のキャリア形成 ・職場の理解と不理解 ・様々な情報の集め方(セカンドオピニオン含む) ・自分の気持ちとの向き合い方 ●小カテゴリー ・乳がん/浸潤性乳管がん ・ルミナル型/ホルモン療法 ・リンパ節多発転移/リンパ節郭清 ・標準治療→化学療法(抗がん剤)/部分摘出/放射線 ・分子標的薬治療/薬剤性間質性肺炎 ・がん患者が休職せずに仕事を続けることのリアル ・治療と仕事の両立について 2023年春、仕事中に左脇になにかが詰まっているような違和感をおぼえました。 当時の私はいわゆる「バリキャリ」を体現したような生活をしていました。子供のころから「仕事を通して自己実現したい」と思っていて、いざ社会に出ると結果を出した分だけ評価されることに遣り甲斐を感じて走り続けてきました。順調にキャリアを積み、大手の会社で管理職に就くまでになりました。 プライベートでも自分の好きなことを存分に楽しみ充実した日々の中、ある日突然に想像もしていなかった「がん患者」になりました。 左脇に感じた違和感は、左胸にできた原発がんからリンパに転移していたことが原因で、がん発覚時にはすでにリンパ節に5~6個の転移が見られました。2023年6月9日、がんの宣告を受けました。宣告のあと、看護師に別室に呼ばれて「心配なことはありますか?」と聞かれたのを覚えています。 がん宣告されたばかりの私の口から出たのは、①親のこと②仕事のこと③自分の命、の順番でした。親に心配をさせたくないという想いが一番なのは今でも変わらないのですが、自分の命より先に仕事という目の前の心配をしたことに、今となっては苦笑してしまいますが、それほどに仕事は私の人生において大きな割合を占めていたのだと思います。 がん発覚から、1年半経った今現在まで私はずっと働いています。(外科手術した入院期間2週間を除く)職場で自分のがん罹患を伝えるかどうか、休職するか否か、体調との折り合い、通院とのバランス、周囲の理解など「がん×仕事」というテーマにおいてたくさんのことを考え、多くの気付きがありました。 私は仕事に就いている人達ががんになったら、働いても、働かなくても良いと思っています。それぞれがそれぞれの選択に不安を抱えずにがんの治療を進められるのが一番大切なことだと思っているからです。できれば「びっく離職(ビックリしょく)※」だけは避けていただきたいとは思いますが…。 ※がん告知に驚いて、色々考える前に退職してしまうこと あるデータには、がん告知後に仕事を辞めたり休職したりせずに働き続けている人の割合は26%だと書いてありました。私の選択は日本においてまだマイノリティだということです。それでも私はこの自分の選択に満足しています。ぶつかる壁は多かったですし、まだこの先も多くの問題にぶち当たるかもしれません。がんにも負けませんし、押し寄せる壁(問題)にも負けないつもりです!今はバリキャリ道からは少し脇に逸れてはいますが、私は仕事を楽しむことも手放さないことに決めています。 がんは私の個性のひとつ、高血圧や緑内障みたいに持病のようなもの。 こう思えるまでにたくさんのことを考え、たくさんもがきました。 がん罹患をオープンにしている人がほぼいない職場で、私はフルオープンにして仕事をすることを選びました。そのことで起きた波乱や、得ることができた多くの気付きや励まし。がんに支配される人生なんてまっぴら!と、自分の中のがんをコントロールするイメージで毎日を過ごしています(^^)がんのこと、がんをしながらの仕事のこと、何でも気軽にお話しできたらと思います。 ※「未来アドバイザー」で得る報酬は未来アドバイザー運営事務局から直接以下の団体に寄付させていただきます https://www.childrenshospice.jp/ 家族構成:シングル 【ユズさんのブログ】 40代独身、いわゆるバリキャリががん罹患したその後 https://ameblo.jp/55ameb ●対応可能な曜日と時間帯(これを基にクライアントが3つ候補日を出してきます) ・平日/20~22時 ・休日/11~20時 ※その時々の状況に拠ります 関連ワード:乳癌、乳がん、乳ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。 ※当アドバイザーは報酬を受け取る代わりに、未来アドバイザー運営事務局が当アドバイザー指定の社会貢献団体に寄付いたします。
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HIV陽性者として生きてきて
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・HIV感染にしたかもという不安への向き合い方 ・HIV感染を疑うときと疑わなくてもいいとき ・HIV検査を受ける方法 ・HIV陽性告知を受けてから注意すること ・HIV陽性者になった時に利用できる制度 ・療養生活について ・HIV感染症と仕事 ●小カテゴリー ・HIV陽性であるかは専門的な血液検査でないと判明しない ・HIV検査を行ってくれる機会や場所 ・定期受診の必要性と服薬の継続 ・受診や服薬に必要な受けられる援助 ・HIV陽性者であることを開示すること ・感染したら知ってほしいU=Uとは ・療養生活と仕事の兼ね合い 私は、20年ほど前に、保健所の無料匿名検査でHIV陽性告知を受けました。 HIV陽性告知を受ける前、私はインターネットを介して知り合った人と、一晩だけを共にしセックスを繰り返していました。その時、時々、コンドームを使用しないアンセーフなセックスをしていました。 そんなセックスを繰り返しながら、時々、保健所の無料匿名検査を受けていましたが、陰性の検査結果を受けながらも、アンセーフなセックスをする、という、今から思えば矛盾した行為を繰り返していました。 分かっちゃいるけどついつい…って言うやつですが、皆さんはセックスする時「自分自身の健康を守るためにコンドームをする」って考えたことありますか? そして今からお伝えすることは「HIVを感染させた相手が特定された」わけではなく、今振り返ってみると「あの行為でHIVに感染したかも…」という推測でお伝えいたします。 2000年始め頃の夏、やはりインターネットを介して知り合った人と、一晩だけを共にし、アンセーフなセックスをしました。その翌日から40℃くらいの熱を出し仕事を病欠しました。 私はもともと扁桃腺が腫れやすく、風邪などをひくといつも喉を腫らして高い熱を出していたので、耳鼻咽喉科を受診しました。その際、医師の診断では「やはり扁桃腺が腫れていますね」ということで、抗生剤と解熱鎮痛薬を処方され帰宅しましたが、その高熱は3日ぐらい続いたと思います。 なんとか出勤できるようにはなったものの、常に37℃くらいの微熱があり、また夜はひどい寝汗をかき、非常につらい思いをしながら仕事を続けました。 2週間ほど経っても同じ状況でしたので、再び耳鼻咽喉科を受診。医師からは「扁桃腺は腫れていないけど首のリンパ節が腫れているので、一度、リンパ節を摘出して検査に出しましょう」という事になりました。 それは医師が「リンパ腫の可能性もあるから」という理由から提案していただいたのですが、私は医師の指示に従い、首のリンパ節を摘出する簡単な手術を受けました。 2週間後、その検査の結果が出たのですが、異常はない、という結論。そこで白血病などの血液の病気を疑い、当時、通院していた病院に非常勤で来ている、血液内科の医師の受診をすることになりました。しかし、血液検査をしたのですが、結果は異常なし、でした。ただこの時、時代背景もあって血液内科の医師も「HIV感染症」を疑わず、そのための検査は行っていません。 私は「原因がないのに体調がわるくなるはずはない」「何か原因があるはず」と思う反面、「もしかしたらHIVに感染したかも…」という思いでいました。 「HIVに感染したらどうしよう」という恐怖心もありましたが「体調不良の原因が分からないことのほうが怖い」とも思い、正確なに体調を把握するため、HIVに感染したと思われる行為から3ヶ月待って、保健所の無料匿名検査を受けました。 私は自分から保健所へ行き検査しよう、と決意しましたが、なかなか行けず躊躇してしまう…そんな方もおられるのでは? そして採血してから2週間。再び保健所を訪れ、結果を聞きました。そしてHIV陽性告知を受けました。 一瞬で頭が真っ白になりました。「仕事は?」「恋愛やセックスは?」「誰かに相談したほうが良い?」「ここまで育て上げてくれた両親に申し訳ない…」そんな思いで頭がいっぱいになり告知をしてくださった医師に私の思いを聞いて頂きました。 そしてその医師は、HIVの治療を専門に行っている病院あてに紹介状を書いてくださいました。私はさらにその2週間後、そのHIV専門病院を受診しました。 その後、定期的な受診とHIV相談をしてくださる臨床心理士さんの心理カウンセラーを受けながら療養生活を始めました。そして投薬が開始となり、今まで約20年間、HIVと共に生きております。 ここには書ききれないほどの、葛藤や苦悩もあります。例えば恋愛とセックスについて、開示すること、仕事、人間関係…そんな思いとともに私の経験をお話できれば、と思っています。 ●対応可能な曜日と時間帯 月~木:9:00~12:00・18:00~21:00 土:9:00~12:00 (祝日も対応可) この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
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卵巣がんステージ3、未就学児2人とともに
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・卵巣がん治療について ・子育てとがん治療の両立について ・治験について ・子供への告知について ●小カテゴリー ・標準治療と費用に関して ・保育園、幼稚園、学童保育の選び方と行政支援について ・治験の種類とメリットデメリット。 ・母親ががんと診断された後の子供たちに関して 子供が1歳と4歳の時に卵巣がんに罹患しました。 子供たちにとって、病気の理解なんかできず、母親の体調なんか関係なし。遊んであげたいけど、遊んであげられない。そばにいてあげたいけど、あげられない。 とても苦しみました。 昨年、標準療法での完治は望めないと言われ、絶望しました。その時支えになったのが、近所のママ友でした。ママ友自身旦那さんをがんで亡くしており、私がいなくなった後は子供たちの事を託させてくれた。その存在のおかげで、完治を目指して治験を中心に治療を探すことができています。 今は、子供たちにできる事として、毎年のお誕生日に向けてのお手紙の作成。そして思春期の各時期に必要なものを詰めたママボックスの作成に精を出しています。 子供達がいなかったら、もっと生に対して楽に考えられたかもしれない。この世に未練なく過ごせたかもしれません。病気に対する苦しみは軽かったかも。そんな事を考えることもありますが、子供達がいてたから生きる方法を探せる。子供達そして家族が生きがいになっています。 外を歩くお母さんを見ると、この人は未来があるのにどうして私にはないのか・・・。切なくなり、涙が出る事もあります。 でも今生きている。今治療をしてるみなさん共に諦めず、できる事をやりましょう。 がんのせいで、仕事を諦めることになった方、 がんのせいで、将来・未来が見えなくなった方、 がんのせいで、生きることがしんどくなって苦しい方。 私にできる事はないかもしれません。でもその苦しみ・しんどさを話してみませんか。 聞きます。聞かせて下さい。あなたの気持ちを・・・。 2021年1月卵巣がんステージ3と診断 同年2月 手術をおこなうも、原発巣の摘出を断念し、TC両方を5クール 同年6月 原発巣の摘出その後、TC両方を3クール行い、経過観察へ 2022年10月 リムパーザとアバスチン併用の維持療法にも関わらず、再発 同年11月 TC療法中にアレルギーを発症し、脱感作でTCを5クール実施 2023年4月 経過観察へ 同年7月 再再発 同年8月 治験に参加するも、治験薬に外れドキシルを6クール実施 2024年6月 治験としてCAR-T療法を実施 同年10月に増悪が確認 現在は完治を目指して治験を中心に治療法を探している 【プーヤンさんのブログ】 卵巣がんステージ3~未就学児2人を連れて~ https://ameblo.jp/miki-okara 家族構成:私、夫、子供2人 ●対応可能な曜日と時間帯 平日/9:00~14:00 、21:00~22:00 土曜/16:30~17:30、21:00~22:00 日曜/9:00~11:00 、21:00~22:00 関連ワード:卵巣癌、卵巣がん、卵巣ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
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和食店大将、卵巣癌で女将を亡くし1人で生きる
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・終末期の心構えと準備、接し方、向き合い方 ・和食料理人として治療中の食事について ・闘病中の仕事について ・亡くなってからのやらなければならない事、遺産相続や諸手続きなど、現実問題と遺族として心の持ち方 ・介護問題や親族との付き合い方 ・発症してからの向き合い方 ・民間医療や自由診療、経済的な現実問題 ●小カテゴリー ・ステージ4卵巣がん腹膜播種について ・再発後の心の持ち方 ・癌患者の運動と栄養について ・情報収集について 私は料理人一筋で30歳で独立。一時期は2店舗を経営していましたが、リーマンショックを経て接待需要が激減しました。その頃に妻と知り合い、何かに導かれるかのように歓楽街から住宅街に移転。妻と結婚し、二人三脚で和食店を営んできました。 東日本大震災もありでいろいろと苦労はありましたが、先を考え小さな今の店に移転し夫婦2人で頑張ってきました。2人の間に子どもはいません。 妻の母も80歳を過ぎて認知症進行や転倒による左腕骨折、糖尿病発症、すい臓がん手術などもあり妻は日々の介護しながら仕事もこなす生活となりました。 妻は50歳手前でコロナ禍が始まった2020年2月ごろから体調不良を訴え始め、最初は 膀胱炎かな?と自ら疑っていましたが、街のクリニックを受診するもコロナ禍の中で誤診やら検査すら進まずたらい回し状態、体調は悪くなる一方、卵巣に腫れがあると診察されるも癌のPET CT検査までなかなかたどり着かず、かつて妻が院長秘書をしていた病院長に相談し紹介でようやく大病院での検査をねじ込んでもらいました。 そこで、ようやく2020年5月末に卵巣がんステージ4、腹膜播種、リンパ節転移の診断結果が出ました。放っておけば3か月持たないと宣告され、三日後から待ったなしの化学療法治療がスタート、9月に入院し原発巣である卵巣全摘出手術をし無事に成功しました。 私自身も覚悟を決め、妻の食事管理から通院治療の送りなど仕事をセーブ。生活は一変しました。体力の回復を待って年内また化学療法(パクリタキセル、カルボプラチン、アバスチン)の3週間おきの4回投与治療。 翌2021年からは毎月の経過観察と分子標的薬ゼジューラ服用による治療継続治療。 自らも水素水吸入器を購入し愛用したり、ひまし油湿布やバドガシュタイン鉱石、丸山ワクチンをうけたり、民間療法も取り入れてきました。大人の休日倶楽部に入会し、妻は一人であちこち温泉湯治、聖地と言われる玉川温泉にも足を運んだり、治療中であっても副作用が収まったころには、夫婦であちこち贅沢な旅を満喫し、美味しいものも食べてきました。癌が発覚してから後悔無いよう精一杯人生を駆け抜けてきた自負はあります。 ずっと再発転移もなく順調かと思われた2023年の2月に蕁麻疹などの症状を訴え、検査の結果、再発。初発の時と同じ化学療法治療を行いそれなりの効果はありましたが2023年12月に再再発。治験の話もありましたが、遺伝子検査などの結果、なかなか合うような治験が見つからなかったこともあり、まずは標準治療としてドキシル単体の化学療法治療を行いました。 しかし、思うような治療効果は得られず、また治験の話も出て主治医の紹介という事で紹介状も持参し別の医療機関も尋ねましたが、治験の為の休薬1か月半の無治療状態の中、更にどんどん病状は悪化し治験治療はリスクということで、2024年4月からパクリタキセル単体での治療を3回行いつつも効果は得られず。衰弱の一途を辿り5月に入院。その月に53歳で亡くなりました。 妻がずっと介護していた妻の母も88歳にして何と同じ日の同じ時刻帯に自宅にて心不全にて亡くなりました。血がつながっていても嫁ぎ先が違うため、宗派の違いで2人同時に葬儀を行えず、葬儀の段取りに難儀したことや妻よりも数分遅く義母が亡くなったことも相続手続きなど複雑で厄介となりました。 納骨や新盆くらいまでは本当にやらなければならないことが次々出てきて、大変で悲しんでいる間もないくらいでしたが、秋の彼岸を終えた頃くらいから喪失感にもさいなまれました。 まだまだ気分的にも波がありますが、前を向いて妻や義母の供養をしつつ日々暮らしています。「他人に優しくしてあげて。私が生きた証を残してほしい、亡くなったら貴方がブログを書いてほしい」との遺言に従い私自身が妻のブログを引き継いで更新しています。詳しくは後述記載のブログを読んでいただければと思いますし、何か少しでも皆様のお役に立てれば妻がYouTubeチャンネルやブログを始め続けてきた思いにも応えられるのではないかと思っています。 ご家族やパートナーが末期癌に侵され終末期を迎えるにあたり、どのように過ごしていったら良いのか? また、不幸にも亡くなられた後、どのような心持ちで生きていったら良いのか? 妻と知り合ってから今まで、ずっと何かに導かれたかのように逆らえない運命の中で生きてきたようにも感じています。今後も妻や義母が見守ってくれているような気もしながら、何か残りの人生の中で与えられた使命のようなものを探しながら生きています。 セッションでは、クライアントの方に寄り添った時間を提供できればと思います。 私 現在、独り暮らし 妻 卵巣がんのため2024年5月に他界 義母 糖尿病および認知症ほか在宅介護状態も妻と同日ほぼ同時刻に心不全で他界 【キヨキヨさんのブログ】 巣がんステージ4~女将の明るい闘病記 https://ameblo.jp/meidono-miyage ●対応可能な曜日と時間帯 祝日を除く月~金曜/8~11時 関連ワード:卵巣癌、卵巣がん、卵巣ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
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シングルマザー、大腸がんステージ4でも前を向く
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・オストメイトとしての生活 ・病院選び ・闘病と仕事の両立 ・子供との向き合い方 ・治療方法の選択 ・闘病をサポートしてくれる仲間作り ●小カテゴリー ・障害年金、障害者手帳 ・オストメイトでの性生活や恋愛 ・シングルマザー ・癌コミュニティへの参加 ・抗がん剤 ・放射線治療の後遺症 はじまりは、2019年5月ごろ 夫と別居8年目(離婚調停不成立により)、10歳の息子に手を焼いていた時でした。 毎年健康診断で問題なかったのですが、血便が出ることがあり、近くのクリニックを受診。 41歳の誕生日に、ステージ2の大腸がんの告知を受けました。 病院を出たときの光景は今も忘れられません。 「私1人ががんになったって、たとえ死んだって世の中は何も変わらないよ」。 世間から自分が見放されたような、時間軸から取り残されたような感覚は忘れられません。 こうして突然の闘病生活と子育てと仕事の両立という多忙な日々がスタートしました。 病気になったらまずやることは病院選びです。 初診のクリニックから、おすすめされた病院は遠く、かかりつけの大学病院はありましたが、「癌ってただの病気じゃない、命に関わる病なんだろうな」という認識があったことから、果たして安易に決めていいのかと凄く悩みました。そして、癌の治療に強くて、かつ入院しても私の親が通い易い病院にいくつか絞りました。 そして、最終的には早期に手を打つことが重要だと考え、予約が早く取れた病院を選びました。 この選択は、今となってはとても重要な選択だったと思います。 検査に日数を要しすぎて治療のスタートがなかなかきれないと、とてもストレスになったでしょうし、実際結果が出るまでは、気になって気になって、何も手に付かない日々を過ごしたので、1日でも早くスタートをきれたことはとても良かったです。 それから、検討中の病院のHPを検索して、実績調べをしました。 一番重要視したのは手術の数です。やっぱり手術の回数が多ければ多いほど、熟練度もあがるし、予想外の症例にも対応できるのではないかと考えたからです。 初受診後、一通りの検査を経て、 2019年6月 大腸がんステージ2の診断をうけ、手術を勧められる 2019年6月〜7月 毎日病院に通い、放射線治療を30回、少量の口径タイプの抗がん剤(TS-1)を服用 2019年10月 ロボット支援下直腸支援術&一時ストーマ造設:ストーマの練習もかねて8日ほど入院 ⇒この頃から息子の精神が少し不安定になる。息子は「たった1人のママがもしも居なくなってしまったらぼくはどうなるの?」という不安な日々を過ごしていた。私も心の余裕がなく、息子の心のケアを考えてあげられていなかった。対策として、両親に助けてもらい、息子のお世話をしてもらった。 2019年10月 放射線治療の後遺症で卵巣にダメージがかかり、生理が終わり更年期障害に。 ⇒膣の内側にも放射線があたってしまい、子宮内部の皮膚が火傷のあとの瘡蓋のような状態となり膣も萎縮してしまう。皮膚が固くなってしまうと、女性疾患の検査もできなくなってしまうので、放射線科にて膣トレのリハビリを開始。 2019年11月 術後の病理検査でリンパへの転移があった為、ステージ3へ 2019年11月 8クールの抗がん剤を使用ゼロックス療法開始(オキサリプラチン) ⇒抗がん剤の副作用で、出勤できない日が増えたが、結果的に息子との時間は増えた。3クールまではなんとか元気にやれたが、4クールからガクンと副作用が強くなり身体が動かなくなっていった。投与後数日は、ご飯も食べられず、水もさわれず、ただ心臓を動かすことで体力を消耗している感覚に。もちろん何もできないので、息子の食事や家事は、親や友達がきて助けてくれた。 2020年2月 腸内ガスが膣から出たことにびっくりして病院にかけこむ:直腸膣瘻を発症 ⇒放射線治療で、膣と腸の壁がもろくなり貫通してしまったようで、放射線治療の恐さを実感。1年間の経過観察 2020年5月 ゼロックス療法が終わり経過観察へ 2021年2月 肺に影。左右で5個の転移がみつかりステージ4と宣告 ⇒呼吸器の担当医からは、5個以上肺に転移がみつかると手術はしないルールになっていると知らされる。すでに5個もあると、手術したとしても、時間差で結局また出てくるケースが多いという理由から。抗がん剤治療を勧められるが、完治にかけたいと思い、私が手術を希望。 「あと3ヶ月このまま寝かせて、それでも増えなかったら手術しましょう」ということに。この3ヶ月は生きた心地がせずに、とても不安な3ヶ月を過ごす。 2021年2月 ステージ4に ⇒自分にもしものことがあった時のことを色々考えた。行政に里親制度の相談に行ったりもした中で、籍が抜けていないことが残された息子や親に大きなデメリットになることを知る。息子の親権や私の財産が夫に行ってしまうことを恐れ、籍を抜くために弁護士に相談 2021年4月 弁護士を介して協議離婚成立 2021年6月 CTの結果、5個を維持していたので手術してもらえることに 2021年6月 右肺手術:転移性肺腫瘍摘出 ⇒肺は左右同時にするのは体力の消耗が激しいため、時期をあける。体調もよく術後4日で退院、翌日から出勤。次の手術に備えて肺を膨らますためにランニングを行う。 2021年9月 左肺手術:術転移性肺腫瘍摘出 ⇒同じく術後4日で退院、次の日から出勤、肺が減ってしまって酸素が足りなくなるといけないので、またランニングに励む。 2021年9月 その後、経過観察 2022年4月 右肺にまた転移発覚 ⇒累計6個目になるので手術を断られたらと怯えていたが、「1個なら」ということで手術してもらう。「不思議と、もうこれは希望しかない」と前向きな気持ちでのぞむ。肺の手術自体は3回目になるので、日常の片手間で入院するような感覚だった。 2022年 5月 右肺手術:転移性肺腫瘍摘出 ⇒GWに入院し、術後3日で退院、4日目から通常業務へ 2022年 5月 経過観察 ⇒肺の大部分を失ってしまったので息切れがひどくなり、ランニングで残った肺を膨らませることに励む。その後、大腸検査をした際に腸が萎縮してカメラが入らなかったことから、腸が使い物にならないかもしれないのでストーマの閉鎖を断念。 2024年 現在、原発のロボット支援下直腸支援術から5年以上経過 ⇒同じ消化器系がんの方たちとの情報交流サイトの立ち上げプロジェクトを知り、少額寄付をしたことがきっかけで、代表の方と交流。自分の経験を誰かに伝えたり聞いたりすることは、同じ道をこれから歩む人たちへの一助になることを実感する。 がんになると、やることが沢山あります。 絶望に浸る暇もないくらい、検査や考えることが多くて大変です。 その中でも、重要なターニングポイントもたくさんありました。 病院選びに始まり、仕事か治療の選択、手術の選択、ストーマを付けるかどうかの選択など、本当に多くの選択を強いられます。 私の場合、ストーマを付ける際、一次ストーマか永久ストーマか手術の当日になっても決めきれなくて、結局一次ストーマにしました。 しかし、こちらは今思えば選択を見誤ったかなぁと後悔しています。 見誤った理由として、当時は、一番大事な命さえ助かれば他はなんでもよかったという気持ちが強く、2番目3番目のことを何も考える気持ちが起きなかったのです。 一次ストーマから永久ストーマに変更できるという知識はもっていましたが、使わない臓器は体内で劣化していくことを考えていませんでした。そして、結局永久ストーマに変更するタイミングを失い、使用できない臓器が体内に残ってしまうという結果に。 そして、臓器がある以上、そこに癌がまたできるかもしれないというリスクだけを抱えることになってしまいました。そんな結果になるなら最初から永久ストーマで決断しておけばよかったと後悔しています。 ひとつ経験してわかったこと。 これは私の考えですが、人の心はずっと絶望でいつづけることはできないということ。 下がるまで下がったら、あとは上がるしかないのだと。 人にはどんなときだって、その中で前向きに生きたいという本能があるんじゃないかと思っています。 それに、今の医療の発展のスピードは目覚ましいです。 いつだって今が最新で、今が一番医療が発展してる。 だから今でよかった、ラッキーだったな!って思うことも大事だと思います。 私とのセッションは、前を向くきっかけが欲しい人には特にマッチするはずです。 不安でいっぱいの時、 少し気持ちが上向く時、 やっぱりだめなとき、 もう頑張れない頑張りたくないと思う時、 健康な他人が恨めしく思う時、 そんな自分が嫌になる時、 ただ人に不安を聞いてほしい時、 気持ちが散らかって大変な時がたくさんあると思います。 そんな時に、私もたくさん人に話を聞いてもらって 乗り越えてきました。 私の経験したことが、情報面でも気持ちの面でも 一人でも多くの方の一助になれますように! 【ミーコさんのブログ】 大腸癌ステージ4 病気の多い人生だけど、息子と2人で楽しく生きてる。 https://ameblo.jp/shokonoron ●対応可能な曜日と時間帯(これを基にクライアントが3つ候補日を出してきます) 月・水・金・土の20時以降、日曜祝日は時間要相談 関連ワード:大腸癌、大腸がん、大腸ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
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「闘病人生」腹膜播種で余命を聞いても今を生きる
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・余命が分かったあとの生き方 ・自分が体験した治療内容 ⇒手術:円錐切除、子宮全摘(腹腔鏡手術)、膣壁切除術(腹腔鏡手術) ⇒放射線治療:ラルス5回 ⇒化学療法:パクリタキセル、カルボプラチン、キイトルーダ、アバスチン ・治療中の副作用などの話 ●小カテゴリー ・子どもへの病気の伝え方 ・緩和ケア選び 現在40代前半で、30代後半に入り、子宮頚がん検診で軽度異形成で陽性が出たので、HPV検査をしたら高リスク58型と言われました。これは癌になるリスクが高いらしく、注意が必要なので半年に1回検診で通院してました。 39歳頃に子宮頸部に軽度異形成から中等度異形成になり、近所のクリニックから癌拠点病院に転院。円錐切除と言う手術をしました けれどすぐに異形成が再発したので 今度は子宮全摘をしましたが1年半で膣に異形成が再発。また手術し病変を組織診で調べた結果ステージ1の膣癌と言われました。膣癌は希少がんと言われ、手術しようとしても私は子宮がないのでかなり難しく出来る医者も少ないと説明がありました。なぜ難しいと言うと子宮があると手術の際に伸縮するのですが無いのと一度手術しているので体の内部が硬くなっているので難しいのです。 前回は異形成で癌ではないらしく、細胞を調べたら違う癌細胞みたいで初発は膣癌になるのか、はっきりとわからないと言われました。 希少癌なので全国でも症例が少なく、症例数があるがんセンターに転院をしてラルスという特殊な放射線治療を開始しました。 その後3ヶ月に1回の経過観察でしたが、膣癌の手術から2年後に腫瘍マーカーがじわじわ上がり始め2023年4月にPET検査で腹膜播種が見つかりました。 ステージ4になり、抗がん剤治療しか出来ないと言われ治療開始。パクリタキセル、カルボプラチン、キイトルーダ、アバスチン開始。9クール終了し、その後はキイトルーダ、アバスチンのみの維持療法継続中です。 治療を通して1番辛かったのは、膣癌の手術が終わって病室に帰ってきて麻酔が切れて夜中に痛すぎて寝れなかった事です。2度と手術はしたくない!と思ったほど辛かったです。抗がん剤より辛かった… 異形成が見つかり、癌になりたくない一心で早期から治療を頑張って来たのにまさか5年でステージ4になるとは思ってもいませんでした。 ですが、ステージ4になったからこそ見える世界もありました。 現在、がんセンター以外に他院の緩和ケア外来に通っています。そこでは心のケア、痛みの緩和などを診てもらってます。 再発当時はもう私は死ぬんだ!と死ぬことばかり考えてネットで 毎日泣いてネットで腹膜播種というワードを検索ばかりしてかなり重度の鬱にもなりました。 鬱になり終活を始めようと自分で緩和ケアを探し始め死ぬ場所を探す為に緩和ケア病棟のある病院を見つけて外来通院を始めました。がんセンターは治療する場所で緩和ケア病棟はなく、最終的には緩和ケア病棟のある病院に転院になるので早期に通院する事で医者と心を通わせる事で穏やかな最期を迎えれるのではないか?と考えました。 緩和ケアで適切な薬を処方してもらい、話を聞いてもらう事で心が穏やかになり心身共に穏やか、痛みも軽減されかなり楽に過ごせるようになり先生のおかげで1日1日を大事に生きるにはどう過ごせば良いか、生きる大切さ、自分は何の為に生きるのか?が少しわかった気がします。 私は生まれつき両足の股関節脱臼で小さい頃から通院してました。12歳、23歳で2度の大手術し、出産も股関節と子宮の奇形の事もあり帝王切開でした。癌の治療も含めたら7回の手術、放射線、化学療法と44歳で中々の経験をして来たと思ってます。 私は結婚、出産は早い方だったのですが子育てが落ち着いたら主人と「2人でキャンプ行ったりゆっくり過ごしたいねー」と行ってましたがこんな事になってしまって本当に悲しくて。けれど再発してから家族が自然に本当に優しく接してくれて、その優しさに触れて私は主人と子供達に出会う為に生まれて今まで生きて来たんだ!と思いました。 私が死んだ後も残された人達は人生は続いて行きます。その人達の為にも最期まで私らしく笑って過ごし命を精一杯生きないと! 皆の心の中で笑ってる私の姿を残したい!と思うようになりました。 命の期限がわかったからこそ、「自分には何が出来るだろうか」と考えます。未来アドバイザーとして、1人でも誰かの役に立てれたらと思っています。 ●対応可能な曜日と時間帯 月曜日から土曜日まで14時から22時まで※通院日以外 【マルママさんのブログ】 子宮頸がん異形成から4年。2年後に希少がんの膣癌になり現在腹膜播種でステージ https://ameblo.jp/marulove1025/ 家族構成:夫40代、子供2人(高校生、大学生)、犬2匹 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。 ※当アドバイザーは報酬を受け取る代わりに、未来アドバイザー運営事務局が当アドバイザー指定の社会貢献団体に寄付いたします。
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サウナ温泉、乳がんで乳房を失くしても堂々と
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・乳房がない悲しみをどう受け入れるか ・浸潤性小葉がん ・同時再建術 ・リンパ郭清 ・入院生活を快適にするコツ ・抗がん剤の副作用体験談 ●小カテゴリー ・入院生活を前向きにするコツ ・痛みや恐怖を和らげるコツ ・告知から手術まで不安を減らすコツ ・自分で自分を励ますコツ 初めまして。 49歳のカオリです。 職業は、料理教室を主宰しています。 あなたは今、乳がんだと告知されて不安でここにたどり着きましたか? あなたの心が少しでも明るく・前向きになるお手伝いができたらいいなと思ってます。 『体が健康じゃなくても、心が健康なら健康。心まで病人らしくする必要はないんです』 一緒に心を軽くする方法を見つけましょう。 私は、乳がんになってから以前よりも幸せを感じる機会が増えました。 『足るを知る』という言葉をご存知ですか? 足りてないものを数えるよりも、足りてることに感謝をすることで 病気の辛さも軽減されることも、乳がんが私に教えてくれました。 私は、梅宮アンナさんと同じ『浸潤性小葉がん』にり患しました。 サウナ大好きな私は、手術が終わったらまた胸があって欲しい!と思い 全摘手術と同時再建術を選択しました。 『自分の体の組織(腹部)を使うのだから、術後に問題なんて起こるわけない』 同意書に小さく書かれてる術後の合併症なんて 自分に起こるわけないと思ってましたが 移植した組織が壊死してしまい、全摘・同時再建術の翌日に再手術。 それでも再び細胞が壊死してしまい、3度目の手術をしました。 「手術したら全摘した右胸は再建で元通り!」 という私の予想は大外れで、2週間の予定の入院生活は1か月に及びました。 それでも、私は入院生活がとても楽しかったし 今の自分の再建できなかった胸を見て 『かわいそう』とか『みっともない』なんて思いません。 むしろ、頑張った証・勲章だと思ってます。 だから、大好きなサウナや温泉も胸を隠さず 堂々と入ってます。 もし、あなたが温泉好きで、手術したら諦めないといけないと思ってたら 全然心配することないですよ。 私は今、抗がん剤治療で髪の毛も全くないけど それでも工夫して温泉とサウナ楽しんでます。 現在は再発予防のため、抗がん剤治療中です。 私は、抗がん剤治療を始めてから、前述した 『足るを知る』をより深く感じることができました。 抗がん剤治療は確かに辛いこともたくさんあります。 しかし、人は満たされてる時よりも 辛いことや悲しいことがある時こそ、 足るを知るを体感できるのではないでしょうか? 乳がんにかかったという現実を ただのつらい経験で終わらせるのか それともそこに何かしらの意味を見出して成長の糧とするのか あなたはどちらを選択しますか? 2人で一緒に前向きに考えていきましょう。 乳がんの人が1人でも笑って暮らせるように。 ブログを毎日投稿しています。 乳がんが私に与えてくれた幸せな毎日 https://ameblo.jp/osm1543301 ブログには私がこれまで感じたことを綴っています。 ぜひブログを読んでいただき フィーリングが合うな!と思われたらお申込みください。 【病歴と治療歴】 2024年2月16日 乳がんを告知されました。 浸潤性小葉がん 患部右胸 ステージ2A 腫瘍の大きさ1.3㎝ 腋窩リンパ節転移あり Ki67 30% ホルモン受容体 陽性 HER2 陰性 2024年6月5日 乳房切除術+再建手術 遊離皮弁術 2024年6月6日 胸部 血腫除去術 2024年6月27日 右胸部 デブリードマン 1か月の間に3回 全身麻酔による処置を行いました。 2024年9月10日より 抗がん剤治療スタート ddEC療法 4回 ddパクリタキセル4回 オンコタイプDX RS 21 5年遠隔再発率 9% CT上乗せ効果 2.7% ●対応可能な曜日と時間帯 月曜・火曜・水曜 10時~20時 関連ワード:乳癌、乳がん、乳ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
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双極症Ⅱ型(双極Ⅱ型障害)と診断され生きてきて
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・精神科・心療内科を受診すること ・こころの不調をかかえたまま仕事をすること ・自分自身のこころの不調の特徴を把握すること ・利用できる社会福祉制度 ●小カテゴリー ・こころの不調に気付き受診する時の心構え ・主治医や医療従事者と上手く付き合っていく方法 ・休職する際に知っておいたほうがいい情報 ・こころの不調を抱えたまま働くための心構え ・こころの不調を抱えたまま転職する際に考慮すること ・自分自身のこころの不調の特徴を相手にわかりやすく伝える方法 私は、2000年代始め、様々なストレスからメンタルダウンを経験し、精神科にて「うつ病」との診断を受け、服薬と心理カウンセリングにて治療を開始しました。 最初のメンタルダウンを経験した際、仕事を1ヶ月ほど休職しました。そして復職した時には「もう完全に治った!」と思い込み、自己判断で通院も服薬も心理カウンセリングも全てやめてしまいました。 これはやっちゃいかんこと、やっちゃったんですよ…こんな経験、ありません? しかし案の定、3ヶ月後に再発。再び1ヶ月の休職を経験しました。抗うつ薬や睡眠導入剤を服薬し、月に1度の定期診察と心理カウンセリングを受け続けてはいましたが、月に一度くらいのペースで、寝起きの抑うつ感が強く病欠をする、ということを繰り返していました。 当時の職場には、私と同じ様にうつ病を抱えておられる職員もおり、こころの不調に対する対応はとても寛容的ではありましたが、諸事情により退職してしまいました。 それ以降、転職をするのですが、新しい職場になる度に「今度は絶対にこころの不調で休職はしたくない」「採用していただいたからには全力を尽くしたい」「しがみついてでもここで働き続けよう」などの強い思いが影響し、逆にそれがプレッシャーとなり、結局また休職をしてしまう…そんなことを繰り返していました。 これは今の私が思うに、もちろん「うつ病」という病が影響しこころの不調に陥ることもあったかと思います。しかし一方で「人からの評価を気にしすぎる自分」「弱音を吐くことは恥ずかしいこと」「相談することは周りの人に迷惑をかけること」という意識が働き、自分で自分の首を締めていたと思います。 これって見方を変えると「真面目」「誠実」みたいな言葉に言い換えられると思うのですが、自分の素直な気持ちを人に伝えるって大事だと思いませんか? 2010年中頃、諸事情により主治医を変えることになり、今までの私の体験から服薬しているお薬の見直しをしました。そして新たに処方されたお薬を服薬し始めてすぐ、言葉では表現できないような焦燥感や落ち着きのなさなど、今までに感じたことのない感覚に襲われ、主治医に相談したところ「双極症Ⅱ型」という診断になりました。 改めて双極症Ⅱ型として療養生活を始め、一見、調子よく思えていたのも束の間。先程、書きました私の少し歪んだ意識は相変わらずあり、結局、メンタルダウンをしてしまいました。 当時の職場では、こころの不調を抱える人に対してかなりドライであり、また、病欠が重なることで周囲からの信頼感はなくなり、表面上、仕事を上手くこなしているようにはなりましたが、同僚からは、明らかな対応の区別を受けるようになり、またそれがこころの負担となり、休職後そのまま退職致しました。 信頼感を失うって本当に辛い…「自業自得」と思う反面「こころの不調についてちゃんと理解してほしい!」と思ったり思わなかったり…そんな経験、ありませんか? 実は最後の休職中、私は何度となく自分を呪い、そして私が周囲に与えていた影響を思うと、自分が自分で許せなくなり、いっそのことこの世から消えてしまいたい…一時はそんな気持ちでいて、それを実行しようと計画まで立てたことがあります。 しかし、ふと考えた時、自分の人生はまだ終わりではない、自分で自分の人生を終わらせてしまうことで更に周りの人たちに迷惑をかけてしまう、それはボクの本望ではない、と思い始め、個人事業主となり改めて人生の再設計をすることに致しました。 そして初めて、こころの不調を抱える人のためにある福祉制度を利用し、多くの方々からの支援を受けきました。 もしかして様々な福祉制度があることを知っていて、自分がその対象だと分かっていても、その一歩が踏み出せない…そんな方もおられると思います。 私はこの様に失敗を何度となく繰り返しながら生きてきました。しかしその都度得られたものは大きい!と思っておりますので、一度、お話を聴いてみませんか? ●対応可能な曜日と時間帯 月~木:9:00~12:00・18:00~21:00 土:9:00~12:00 (祝日も対応可) この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
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腎臓がんで余命を告げられても人生ポジティブに
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・家族との関わり方(病気との向き合い方、余命への理解) ・生活費のやりくり ・余命を告げれられることについて ・病気を前向きに捉える方法 ●小カテゴリー(大カテゴリーより小さなテーマ ・癌を通して家族との関係 ・子どもへの癌の打ちあけ ・仕事の毎日だったが、家での過ごし方 ・入院生活での必需品 ・生活費の見直し ・お金のやりくり ・家族を残して死ぬかもしれない事 2020.9(37歳) 保育士として働き、やりがいを感じ日々充実をしていました。 秋の運動会の頃、仕事が忙しいせいなのか腰の痛みを感じていました。湿布を貼ったりして様子を見ていたのですが、夜中に目が覚めて寝られないくらい痛み始め病院に行きました。 2020.10 最初に行ったのが整形外科、仕事柄のいつもの腰痛ではないかと言われ、MRIは撮りたかったら…と言われ様子をみました。でも痛みが取れず他の科の病院を転々としても悪いところはないと言われ、転々としていました。 2020.11 1か月後また最初の整形外科に行きMRIを撮ってもらうと医者の表情が変わり、大きい病院に紹介され次の日からは検査検査の毎日でした。 脊椎腫瘍の疑い。 と言われ、知らない言葉を沢山言われました。どんな病気なんだろう…と思い、スマホで調べるとほとんど出てこない…。 誰か私と同じ気持ちの方がいるかもしれない!と思いブログを始めるきっかけになりました。 2020.12 背骨に数カ所転移していたのと、腎臓に原発の癌があると言われました。 告知というやつです。 私の第一声が『いつから仕事復帰出来そうですか?』でした。仕事より自分の体を1番に考えて下さい。と先生に言われました。 癌と言われるのではないかと思っていました。でも治療をしたら治るでしょ!大丈夫!前向きに!と思っていたのです。 旦那の方がショックを受け辛そうにしている姿を見て、自分が明るくしなきゃとも思っちゃいました。 最初に治療したのが、背骨のどこかが潰れてしまうと歩けなくなってしまうからと固定術をしました。背骨に8箇所ネジを入れて支えています。 2021.1 放射線治療。 2021.2 腎臓の癌の悪いところだけを取ってもらう手術。 2021.4 化学療法のオプジーボ、ヤーボイを開始。放射線と化学療法の副作用で咳が止まらなくなり、肺炎になり入院。 2021.8 カボメティクスを飲み始める。味覚障害、白髪、肌白、眠気、下痢の副作用があった。副作用はあるものの薬でコントロールをし、長く続けて飲む事ができた。骨に効果出してくれた。リンパへの転移が見られ変薬する。 2024.3 インライタへと変薬する。高血圧になり、そのせいで頭痛にもなり入退院をくりかえす。下痢の副作用もあり。効果があまり見られず変薬する。 2024.11 今はオプジーボの治療中。発熱することもあるが、副作用もあまりひどくなく過ごしている。 出来るだけポジティブ、前向きに考えていると気持ちも上がってくる!癌を治すのではなく、薬を飲みながら共に生きていければ…と、気を張らずに考えて生活しています。 でも、痛みなどで気持ちが下がってさらに痛みが増す事も… 自分の身体と気持ちに素直になりながら生きて行きたい! 好きな事、これからやってみたい事を見つけるのも好きです! 出来そうな事、興味がある事。 これからを大切にしていけたらいいですね。 癌のせいで大好きな仕事を辞めざるを得ない方… 余命を告げられてショックを受けている方… 家族とお別れするかも知れない不安に襲われている方… 人は支え合いながら生きていると思います。私に出来ることの範囲であなたの助けになれたら嬉しいです。 誰かの支えになっていたら…とブログを始めていたので。 どんな形であっても支えられる存在になりたいなーと思います。 よろしくお願いします。 家族構成:旦那(40代前半)、私(40代前半)、息子2人(高校生と中学生)、猫 【スイさんのブログ】 すいの転座型腎細胞癌、骨転移ブログ https://ameblo.jp/yu514yo523/ ●対応可能な曜日と時間帯 月~金/10:00〜16:00 ※土日や夜がいい場合は要相談 関連ワード:腎臓癌、腎臓がん、腎臓ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
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ステージ4の乳ガンになった28歳の私と、希望の話
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・ガンとの向き合い方 ・家族にガンと告げる方法とメリット ・ガンと結婚・そして結婚生活(ガンと分かっていて結婚することの意味や、結婚生活で楽しいこと・困ることなど) ・現在の生活(投薬リズムや現在の副作用、日々の生活の仕方、仕事について) ●小カテゴリー ・抗がん剤の副作用について ・ステージ4のガンと、子どもを授かることについて ・生きがいと治療(ステージ4のガンになっても治療を続けることの意味、そしてその意味を探すことのサポート) ・若年性乳ガンの方特有の悩みへの相談(恋愛、結婚、出産のこと) ・ガン患者に対する周囲からの言葉かけ 私がガンと告げられたのは、26歳の2022年10月のことでした。 医師の『これ、ガンだね。大きいなぁ』という冷静な声に心が停止して、 声が出ませんでした。 その後の精密検査を経て、肺に転移のある乳ガンステージ4であることがわかり、 逃げられない現実に涙したことを、今でも鮮明に覚えています。 ステージ4ということは、リンパを通ってガン細胞が全身に広がり、オペは間に合わない状態で、残すは抗がん剤のみ、延命治療のみということです。 何度も何度も喉が壊れんばかりに泣きました。 抗がん剤の副作用で、強い吐き気や倦怠感に襲われる日々。あまりにも何も食べることができず、高熱も出たため一週間ほど入院したこともありました。 虫が体の中を這っているような気持ちの悪いしびれに、両手・両足の痛み。眠ることができず、ただただ朝を待ち、「早く治まって、お願いだから。早く朝になって」と祈りました。朝になれば、しびれに効く薬が飲めるからです。効果は気休め程度ですが、それでもすがるような思いでした。 患部の痛みに身をよじりながら、一時間おきにたくさんの医療用麻薬を飲みました。それでも全く良くならず、医療用麻薬を飲み続けた結果、意識を失い、二週間入院しました。入院してからの疼痛コントロールは、それはそれは辛かったです。入院する前と同じように痛むのに、簡単には医療用麻薬を飲ませてもらえなかったからです。私は痛みと闘いながら、布団の端を噛んで我慢していました。 髪が抜け始めたときは心の底から悲しみが込み上がってきました。それまでロングの髪を誇りに思っていましたし、メンテナンスもしっかりとやってきました。インナーカラーを入れたときには心躍るようでした。それが、あれよあれよと失われていく・・・。 周囲の人々が羨ましくて仕方がなかった。「どうして私なの・・・?」それが心の中での口癖になっていました。薬剤性肥満で体型が大きく変わってしまったときも、大好きなファッションが楽しめず、だんだんと心が日の当たる場所から陰の方へ遠ざかっていくのを感じました。その結果、私は鬱になり今でもたくさんの薬を飲んで暮らしています。 上記のように、もういっそ死んでしまいたいと思うような、苦しい経験をたくさんしました。 それでも今、私は生きているし、これからも生きていたいと思っています。 そんな私には夢があります。 1つ、ステージ4の乳ガンを治してみせること。それによって闘病中の方々に勇気と希望を届けること。 2つ、子どもを授かり、独り立ちできるまで育てること。 3つ、自らの存在を様々な形で発信し続け、多くの方に若年性乳ガンを知ってもらうこと。また、検診を受けるきっかけになること。 どうせ生きるのなら誰かの役に立ち、希望になりたい。私がどう乳ガンと闘って、いかに生き、夢を叶えるまでのストーリーを伝え続けたいと強く思っています。 また、現在闘病中の方も、家族が闘病中の方も、乳ガンについて生の声が聴きたい方とも、色々な立場の方とお話ができたらな、と思います。 私と話すと気持ちが楽になれる方は、例えば 病気で恋愛や結婚に前向きになれない方、 若年性乳ガン(他のガンでもOKです)で周囲に相談できる人がいない方、 病気の影響で心が落ち込んでいる方、 家族にガン患者がいるけれど どう接したら良いか分からない方 などです。 そして特に、同じ20代のガンと闘う仲間へ、「あなたの人生はここからがスタートなんだよ。恋だって、結婚だってできるし、親友は変わらず親友のままだよ。もしあなたが周りを羨んだりしても、それは当たり前のこと。そういう気持ちも大切にして、どうかわずかでいい。希望を見いだしてくれたなら、あなたと同じように私も幸せだよ。どうか生きることだけは諦めないで、周りをちゃんと頼ってね」と伝えたいです。 家族構成:祖母、母、夫 下記は治療歴です。 2022年11月 生体検やCTなどの検査(大同病院にて) 同年12月 名古屋市大病院へ転院 同年12月 名市大ではできることはないと言われたため、がんセンターへ転院 2023年1月 抗がん剤治験開始(パクリタキセルを三週間続けて投与し、一週間休み) 同年6月 効果が認められず、治験終了 同年7月 新たな治療①(エンハーツを2週間続けて投与)を開始 2024年7月 効果が認められず、治療①終了 同年8月 内服薬治療②(内服薬リムパーザを一日に2回・2錠ずつ)開始 同年8月 効果が認められず、悪化したため内服治療②終了 同年9月 新たな治療③(カルボプラチン+キイトルーダを2週間続けて投与)を開始 現在 治療③を継続中 ●対応可能な曜日と時間帯 毎月対応可能なタイミングが変わるので、 X(旧ツイッター)でご確認願います。 X⇒純(@OOR_AM_BOC) https://x.com/OOR_AM_BOC?t=UgiGYTt5ENsSfJX4kDHWkA&s=03 関連ワード:乳癌、乳がん、乳ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
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依存症家族を持つシングルマザー
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・依存症の人の頭の中とは? ・依存症の人の本音とは ・家族がしてはいけないこと ・医療、福祉への繋がり方 ●小カテゴリー ・家族の中で最優先すべきことは何か明確する ・依存症の人にひきずられない生き方を選ぶ シングルマザーのスバルです。 待望の第2子が生まれ、順調だと思っていた生活がある日一変しました。 というより、ずっと前から始まっていたことだったのに、私がまったく気づかなかったんです。 当時、結婚していた夫が突然倒れ、救急車で搬送されました。 アルコールの大量連続摂取後の離脱症状でした。病院では心肺停止になり蘇生措置により生き返りましたが、そのまま2週間入院しました。やっと目が覚めた夫はすっかり酒が抜け「オレはどうしてこんな所にいるんだ?」と言い倒れたことはすっかり忘れていました。 退院後も隠れての大量飲酒、その後の離脱症状の繰り返しで食事もとらず、排泄もトイレに自力で行けず自室で全てをやってしまう、そんな状態でした。 カウンセリングや、専門病院につなごうとしましたが、「酒をちょっと飲みすぎたくらいで大げさな」と言って全く聞いてもらえず、症状は悪化していきました。 とうとう救急車を何回も呼びすぎて、受け入れ先の病院がなくなってしまいました。 それでも酒はやめられず、やっと受け入れてくれた病院の先生が見かねてそのまま依存症専門の病院へ転院させてくれました。 しかし、そこでも「もう治ったから」と自分で手続きして退院してきてしまいました。結果また同じことも繰り返しで、専門病院にも3回入院しましたが態度が悪く他の患者さんに悪影響ということで強制退院になりました。 2人の小さい子どもを抱え、これ以上夫の面倒は見れないと限界に達した私は、酒をとるか家族をとるか決めろと迫り、夫は離婚に応じて出ていきました。 これで平穏な日々を送れると思ったのもつかのま、その後も救急車を呼ぶ時や、入院する際の保証人になるようにと連絡が絶えず、本当に大変でした。 とうとう救急車も来なくなり、何度も死にかけた夫はやっと説得に応じて、依存症回復施設に入ることとなりました。ここで3年がんばって依存症を克服していくはずでした。 ところがその施設も2か月目に脱走して、「あんな所はイヤだ」とかえってきてしまいました。施設に入るための保証人になる条件はここで3年間がんばること、だったのですが、それができないならもう私達には近づかないでほしいと伝え、次に来たら警察を呼びますと言いました。 しかし、また夫はやってきました。私たちは警察を呼び、夫には警察からの警告がでて 私たちも引越し、やっと平穏な日々を手に入れました。 その数年後、孤独死した夫が発見され、また私たちの所に連絡がきました。 長男が葬式くらいはだしてやってほしいと頼まれ、様々なあとしまつを行いました。 私が悪かったのではないか、もっと他に何かできたことがあったのではないか、と自責する日々が続きましたが、私自身もカウンセリングなども通ってやっと心の整理がついてきました。 依存症の人は対象がなんであれ(アルコール、ギャンブル、薬物、買い物、恋愛など)、強いネガティブな渦で周りの人を巻き込んでどんどん不幸にしていきます。底なし沼にいる人に手を貸しているようなものです。 本人すらもコントロールできない強い渦の中にいるのに、家族であっても他人がコントロールすることは不可能です。 依存症になってしまう考え方や行動パターンを自分自身のチカラで見直すことができない限り、一緒にいてはいけないのです。 夫を見捨てた、と自責してきましたが、子ども達にトラウマを残さないように早めに離れることができたのは正解だったのではないかと思っています。 ・依存症の家族とどう接していいのか、わからない方 ・依存症の家族を抱えて、これからの生活が心配な方 ・依存症の家族を抱えて、子どものこれからが心配という方 依存症の家族を持つその苦労は、痛いほどわかります。私がとった選択が正しいかどうかはわかりませんが、その体験と決意と、今の状況をお話することはできます。 家族構成:本人(母)、長男(15)、次男(10) 【スバルさんのブログ】 6万人に1人のレア障がい児とどん底シングルマザーのドタバタな毎日 https://ameblo.jp/sval0707 ●対応可能な曜日と時間帯 平日/午後16:30~17:30(※まれに10:00~12:00、14:00~17:00応相談) 土/11:00~15:00(※まれに10:00~12:00、14:00~17:00応相談) この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
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妻の病死~残された父と娘の二人暮らし~
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・妻との死別体験について ・シングルファーザーのリアル ・がんセンター ・シングルファザーの子育て ●小カテゴリー ・カボメティクスの副作用 ・親を亡くした子どもについて ・病院選び 2021年2月、妻に腎臓がんが発覚。(当時、妻43歳、僕45歳、娘5歳) 妻にこれといった自覚症状は無かったけれど、真夜中、突然の腹痛(激痛)に襲われる。 痛みは治まったけれど、過去に経験のないその激痛から、只事ではないと悟った妻は翌日から病院をめぐる。 数日後、近所の泌尿器科にて癌が発覚。すぐに、がんセンターの紹介状をいただく。 腫瘍の大きさは6センチ。リンパ節と肝臓に転移があり、ステージ4と診断。 手術は得策ではないという主治医の見解から、分子標的薬による治療が始まる。 その後、入退院を繰り返した妻は約二年間の闘病生活を経て、2023年6月に他界。 以上、あまりにもざっくりですが、、妻の病歴です。 そして現在2024年12月、僕は48歳、娘は9歳になりました。 僕は今でも妻のことが大好きです。 亡くなって一年半が経ったけれど、ぜんぜん楽にならない。 むしろ辛さが増しているんじゃないか...と思う日さえある。 「あのときこうしていれば…」、「もっとこうしていれば…」の、呪縛から逃れられない。 妻の写真に話しかけたりもできないし、動画なんて死後一度も開いていない。 そうなんです。 まだまだ、僕は誰かにアドバイスをできるほど達観していません。 僕の弱さについて書き始めると、きりがないので よければ下記のブログを覗いていってください。 【腎臓癌で旅立った妻。7歳の娘と僕の二人暮らし】 https://ameblo.jp/ichirupapa 僕はこのブログを娘の為に書き始めました。 成長した娘がいつか、うろ覚えだったママを回想したり、知らなかったママの一面に出会ったりできたらいいなと。 あと、ママの人柄や人となりのようなものを書き残しておきたくて。 僕はこのブログの存在を一切の知人に知らせずに、ひっそりと書いています。 妻にさえ知らせずに書き始め、妻はこのブログの存在を知ることなく亡くなりました。 僕たち家族の経験、僕の思いをそっくりそのまま書いています。 前述しましたが、僕にたいしたアドバイスはできません。 ただ、 自分にとって大切な人が大病を患ってしまったり、 闘病に付き添っていたり、 大切な人を失ってしまうかも知れない不安を抱えていたり、 そして、それらすべてが報われずに大切な人を失ってしまったり… そういった方と同じ時間を共有できた際は、僕の経験と、妻と娘への思いを、そっくりそのままお話できればいいなと思っています。 家族構成:私(48歳)、娘(9歳) ●対応可能な曜日と時間帯 月~金/9時~18時 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
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癌の重さ5㎏!延命治療中でも仕事を継続する方法
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・延命治療をしながら仕事をするには ・治療の不安(仕事関係者に報告する時。周りのサポートについて) ・副作用のこと(脱毛の不安。痛み、しびれ対策) ・希少癌についての考察 ●小カテゴリー ・家族だからこそわかって欲しいこと ・家族だからこそ一緒に乗り越えて欲しいこと。 ・抗がん剤治療の副作用対策(主に便秘対策、手足症候群対策) マイと申します。 仕事は自営業で、ステンドグラスの教室の運営、学校、カルチャーセンターにてステンドグラス講師をしています。 50歳を目の前にして、日々忙しく、そして楽しく仕事をしていました。 毎年受けていた人間ドックもいつの間にか後回しにしていましたが、なんとなく受けてみることに。 すると、今すぐ病院へかかって下さい!という結果でした。 とりあえず、かかりつけ医に受診し検査を受けると、「ここではなく、大きい病院へ行くように」と言われ、総合病院へ紹介状を持って行きました。総合病院で詳しく検査をすると、お腹全体が腫瘍でいっぱいになっていることがわかりました。 腫瘍はどこの原発のものか分からず、ここではなく大学病院で治療をする方がいいということで、すぐに紹介状を書いて下さり、大学病院へ向かいました。 すると、腎不全と心不全を起こしかけており、今すぐ入院が必要と言われ、緊急入院。 手術が必要であることに間違いないのですが、私が手術に耐えられないということでまずは私の体力の回復の治療がなされました。 体力が回復すれば一度退院、あるいは外泊ができると思っていましたが、それは叶わず回復したら即手術ということになりました。 腫瘍は卵巣からで手術前に卵巣癌であろうと言われましたが、摘出してみると卵巣平滑筋肉腫であること、腫瘍は30センチを越える大きさであること、重さは5~6キロだったと告げられました。 手術前に腸のほとんどと、腎臓の左右両方は取らなくてはいけないと言われていたのですが、奇跡的に腫瘍がキレイに取れたので、左腎臓を摘出、両卵巣、卵管、子宮、大網という胃下部の脂肪組織を摘出するだけで良かったです。 手術は成功し、順調に回復していたのですが、術後2ヶ月の検査で再発、転移がわかりました。希少癌であること、肉腫と同じで、転移しやすいことは聞いていましたが、あまりに早い進行で私も驚きました。 すぐに抗がん剤治療に入り、この治療で癌を消そう…と思っていましたが、1つ目の抗がん剤「ドキソルビシン」では消すどころか進行を止められず、2つ目の抗がん剤ゲムシタビン、ドセタキセルをすることになりました。 この時、「癌は消すことはできない」と医師から言われ、延命治療のための抗がん剤治療となりました。私は、消す目的で治療をしていたので、消せない…という言葉が癌の告知の時よりもショックでした。 それでも、仕事はできているし、日常生活は不便なところはなかったので、これ以上望むことよりも、今の生活を続けていきたい。と、強く思いました。 治療は入院もありましたが、ほとんどが通院です。カルチャーの仕事や学校の授業に関しては、1月に年間の授業計画が出されているので、通院治療はその予定を見ながら入れて、入院の場合は、仕事を休む日もありましたが、緊急入院して手術となった時に全てを話していたので、変更など私に合わせて休みをとらせて頂きました。 仕事は私一人でしているので、代わりに社員がいることではないので、代わりに…ということができません。 ですが、全てを話していたので、合わせて下さいました。 当然、副作用なども少なからずありました。それでも、仕事をすることで前向きにもなれましたし、それが目標にもなりました。 治療が進み、だいぶ副作用になれてくると、そろそろ気持ち悪さが終わる頃だとか、貧血がひどくなる頃…とわかるようになり、自分でセーブするタイミングがわかってきました。 抗がん剤治療で、もちろん、脱毛もあり、抜ける髪がものすごくストレスになり、抜け出してしばらくして、朝起きた時に主人にバリカンで剃ってもらいました。 今となって思うのは、剃る主人も心穏やかではなかったと思います。 ですがその時は、それを気にするよりも抜けるストレスの方が大きかったです。 仕事でウィッグが必要だとも思いましたが、すぐに治療に入ったため、事前に用意することができませんでした。 娘がネットで探してくれようとしたのですが、やはり見てから…と思い注文できず、見に行こうと思ってもなんとなく時間だけが過ぎてしまい、帽子を愛用していました。 仕事柄帽子でも不都合はなく、服装に合わせて帽子を変えて楽しんでいました。 症状が出てひどくなっている時は仕事量を減らし、そうでない時にしっかり…というようにメリハリをつけていました。 趣味の延長線上にあるような仕事なのでできたことかも知れませんが、治療にはやはりお金がかかる。仕事も必要だと思います。 私は癌になってできない…と思うことよりも、こんなに今までと変わらない生活ができる。と思いたいと思って治療にも向き合っています。 自営業である私だからかも知れませんが、仕事に関わりある方には癌であること、抗がん剤治療中であることは伝えていました。 一般的なイメージの中には「癌であると仕事もできない…」というものも少なからずあると思うのですが、実際に私が罹患して「そんなことはない!」と思っています。 周囲の協力は必要だと思いますが、仕事を継続することは可能です。 やはり、仕事や日常生活ができることで、治療中であってもモチベーションも変わってくると思います。 日頃から自分のことを後回しにしていませんか? 私はそうでした。 いろいろなことを話しても言えることではない…と思っていたからです。 病気や仕事、それぞれがそれぞれに抱えていると思います。 しかし、そのほんの少しを私との会話で置くことができたら、ほっとできる時間になったら嬉しいと思っています。 家族構成:私50代、主人50代、息子24歳、娘20歳 【マイさんのブログ】 希少がんの闘病記 転移あり https://ameblo.jp/maimanakou/ ●対応可能な曜日と時間帯 水曜日午後5時、木曜日午後7時、金曜日午後4時 この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
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仕事や子育て、多忙で発症したうつ病を克服した話
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・うつ病の辛さや苦しさ ・子供の不登校 ・自分の発達障害 ・子供の発達障害 ・家族との関わり ・学校とのやりとり ・自分自身の繊細さとの付き合い方 ●小カテゴリー(大カテゴリーより細かなこと、7個まで) ・うつ病を抱えながらの家事をする工夫 ・再発しないために必要なこと ・うつ病を寛解するために身につけること ・うつ病との付き合い方 ・食事の工夫について ・子どもの学校以外での学びについて ・発達障害の子どもとの向き合い方 最初に体の不調を感じたのは、眠れないことでした。正確に言えば、眠っても深夜2時頃にぽかっと目が覚めて、そのまま明け方まで眠れない。 当時は子育てをしながら、フルタイムで会社勤めをしていたため、体は相当疲れており、眠れないことが次の日の体調にもかなり響くことも分かっていました。体は疲れているのに、どうしても眠れない。 情けなくて、涙が出てくることもありました。 それが半年ほど続きましたが、病院にはなかなか受診ができずにいました。 理由のひとつは、忙しすぎたこと。 私は息子が2人おり、当時は小学生と保育園。自分の仕事に加え、学校や保育園、学童の行事で土日祝日は潰れる日々。それに加え、発達障害(自閉症スペクトラム)の長男が通う、放課後デーサービスの行事や、療育先への送迎などが主に有給の使用先。 自分が病院にいくための時間を確保することが、難しかったのです。 実家も遠方で、私の両親ともにまだ働いていたこともあり、実家からのサポートはもらえませんでした。夫の実家も同様です。 夫は、私が働くことには賛成でしたが、働き方などは意見が食い違っており、当時は離婚直前くらいに関係性も冷え切っていたため、サポートをお願いすることもできませんでした。 とはいえ、私が出張にいく時の子供達の送り迎えや、食事の世話などはしてくれていたため、全くサポートのない家庭よりはマシだったかもしれません。 ただ、仕事が大好きで、もっと頑張りたい私の気持ちに対しては理解してはくれず、私も意地を張っていた部分もあったので、特に話し合うこともなく、私も夫に頼るという選択肢は捨てていました。 そんな中でも、やはりなんとなく体がおかしい。慢性的な頭痛や、不正出血もひどくなって行ったため、内科や婦人科に時間を見つけて受診しましたが、特に異常は見つからず、経過観察という結果。 これはもしかして、心因性のものかもしれないと思い、近所にある心療内科の受診を予約しましたが、取れた予約は3ヶ月ほど先でした。 結局、最初のクリニックは主に重症の方が通うところでもあったため、医師からの診断は、ストレスや疲れがたまっただけ。 軽い安定剤をもらって、おしまいでした。 はっきりうつ病と診断されたきっかけは、次男の不登校です。 小学1年生の2学期から、学校に行き渋る彼に、毎日付き添い登校をしていました。それが3月末のある日、泣き喚いて学校にいくことを全身で拒否したのです。 どうしようもない気持ちもありましたが、当時の私は、「少し休憩したら、また行くだろう」と軽く考えていたところもありました。そして、せっかく会社を休むことにしたので、再度自分のために病院に行ってみようと思ったのです。 最初に心療内科を受診してから、さらに半年ほどが過ぎていました。体調不良はどんどん進み、平日の15時〜19時の間には必ず38度に発熱するようになっていました。 さらには、何もしていないのに、手が震える。視力はいいのに、視野がぼやけて周囲のものがハッキリ見えない。食欲がなくて、ほとんど食事ができない。なのに、ストレスでアルコールを沢山飲んでしまう。 自分の体がどんどん壊れていくような怖さを、少しずつ感じていたころでした。 前回のところではなく、違うクリニックで予約なしで行けるところがないかを検索したところ、少し前に、新しい心療内科が開業していることが分かりました。そちらを受診したところ、最初に簡単なテストをされ、うつ病の診断を受けました。 しかも、「今は軽度という判定だけど、この結果からは、今すぐ中等度に移行してもおかしくない」という内容でした。軽度でも、体がこんなに辛いのに、中等度になるとどれだけ辛いんだろうという不安と、このクリニックに通っている人の中では症状が重い方なら、今すぐにでも休職した方がいいのではないかという気持ちがいっぺんに押し寄せたのを覚えています。 結局、次男はそのまま不登校になりました。 私も、うつ病と診断されたことと、次男の状態を会社に伝え、休職することにしました。 もしかしたら、うつ病かもしれないとは、薄々感じていたことでした。でも、診断までは違うようにも思っていました。その理由は、うつ病は、会社や学校で嫌なことがあり、精神的にストレスがあるから発症すると思っていたからです。 確かに、とても忙しい毎日でしたが、仕事は大好きでした。なのに、体調がおかしくなっていたころ、私は会社に行きたくなくなっていたのです。 夜寝る前に、「明日もまた、会社に行かなきゃいけない」と思って、消えたくなる。でも、会社の何が嫌かが全く分からない。 同僚にも上司にも恵まれ、仕事自体もとても楽しい。強いて言うなら、忙しすぎるくらい。 でも、それくらいみんな頑張っているんだから、もっと頑張らないと、と思っていました。 その真面目さが、うつ病の根本的な原因だと分かったのは、うつ病の診断を受けて、しばらく経ってからでした。 うつ病の診断をされたこと、休職することを夫にも伝えました。同時に次男は不登校になりました。 とにかく休むこと。主治医からはそのように言われましたが、主婦にとってそれが何よりも難しいと、すぐに痛感します。 休んでいても、毎日の食事の準備。散らかる部屋の片付け。長男の学校や学童への対応。やることが沢山ですが、頭が全く働かなくて、最低限の家事すらこなせない日々。 夫は、「気にせず休んで、ゆっくりして」と口では言ってくれますが、「毎日家でゆっくりしているのに、どうして掃除機くらいかけられないの?」とも言われました。 全く動かない体と働かない頭のことを理解してもらうことが、当時の私には非常に難しく、つらかったです。 後から考えると、私がうつ病になったのは、まず忙し過ぎたから。 そして、真面目で人に頼れなかったから。頼まれると、いやと言えない性格だったから。 頑張っている自分を認め、少しずつ人に頼ることをしていきました。できそうだと思っても、今の自分の体を考えて、少しでも無理だと思うことは、断るようにしていきました。 さらに、「世間の人は、そんなに頑張ってないかも」「私がやらなくても、なんとかなるかも」と、自分に言い聞かせていきました。 そうしたら、自分の心に少しずつ余裕ができてきて、本当に少しずつですが、ラクになっていきました。 さらに、そうやって自分を緩め、認めていくことで、他人にも優しくなれました。 以前の私は、自分にも厳しかったですが、同じくらい、他人にも厳しかったと思います。 主婦が心身に不調をきたしてしまうと、本当にキツイです。毎日の生活には、最低限やらないといけないことがありますし、必ずしもサポートを頼める人が、身近にいるとは限りません。 そんな中でどうやって工夫していったかの具体的なお話も、共有できるかと思います。 あの時、もっと人に頼ることができていれば、うつ病にまでならなかったかもしれません。 もっと自分をねぎらい、サボることが出来ていたら良かったかもしれません。 でも、過去の経験があるから、今の自分があるとも思えるので、そのあたりはちょっと複雑な気持ちです。 自分の意識を変えることで、夫との関係性がぐっと良くなりました。 次男もいまだに不登校をしていますが、自分らしく歩み始めているので、心は不登校ではなくなっていると思います。 発達障害の長男は、まだまだ自分のアイデンティティを模索中ですが、ゆっくりでも歩き出すと信じています。 最後になりますが、うつ病を発症した方は、基本的に真面目な人が多いように思います。 頑張る自分にだけ存在価値を見出すのではなく、何もできない自分でも、価値があるよと思えること。それがとても大切なことなのではと、今では思います。 そんなお話を共有させてもらうことで、少しでも心や体がラクになるヒントを見つけていただければ、嬉しく思います。 家族構成:夫、長男(発達障害、元不登校)、次男(不登校) 【ステラさんのブログ】 (元)不登校ママのゆるゆる日記 https://ameblo.jp/izuminmin08/ ●対応可能な曜日と時間帯 月/11時〜15時 土/10時〜13時 関連ワード:鬱、うつ この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。
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外陰がんステージ3B絶望から起業、そして今
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【私が話せること】 ●大カテゴリー ・病気と仕事について ・病気でもチャレンジを諦めない人生の送り方 ・治療のことや病院選びについて ・マインドセットについて ・家族との付き合い方 ・闘病仲間との話 ・記録の付け方 ●小カテゴリー ・セカンドオピニオンについて ・築地国立がんセンターについて ・放射線治療、蜂窩織炎、LVA(静脈リンパ管吻合手術)のこと ・5年生存率50%と言われてからどう這い上がったか ・夫育て、子の自立について ・ブログで記録していて良かったこと ・記録を付けていくことで大切にしていること 2019年秋、お股にデキモノを発見 「がんです」と言われて、私は絶望の縁に。 さらには術後主治医から「ステージは3b、5年後の生存率は50%です」と言われ落ち込みました。なぜか、先生に怒りまで覚えたことを記憶しています。でもだんだん冷静になっていくにつれ、5年後には生きていないのかもしれない、そう思った時に「ぬるく生きていてはいけない!」「生きた証を残さなければ!」「夫や子を自立させなければ!」と思うようになりました。 そんな思いでこの5年をがむしゃらで生きてきました。 5年経ってもリンパ浮腫や蜂窩織炎などいろいろあるものの、この5年で仕事を軌道に乗せることができました。私はフィリピンで英語を教えたい先生と日本で英語を学びたい生徒を繋ぐオンラインスクールを共同経営しています。がんになった頃はちょうどこの事業をスタートさせようとしていた頃で、コロナの追い風もあり0からスタートした事業も今は全国に600人ほどの生徒さんがいるスクールに成長しています。この浮腫んだ足でも飛行機に乗り、2024年はフィリピンにも3回行きました。 闘病と仕事の両立がうまくいった理由の一つとして、もちろんリモートでできる仕事という点もありますが、それ以外にも周りを育てていくことなどいくつかのポイントがあると自己分析しています。今は夫育てや子育ても、自立をテーマに一通りのことは終わり、突然の蜂窩織炎の入院があっても夫娘2人と3人で問題なく過ごせるようにまでなりました。少し生き急ぎすぎた感はありますが、それはそれで私たちの運命なのだと思っています。 寄り添ってお話を伺いたいのと、基本ポジティブな性格なので、この明るさをお裾分けならぬお福分けできたらと思っています。 特に、同じ婦人科がんの方はもちろん、ご本人やご家族ががんと宣告されて絶望の中にいる方、仕事との両立に悩まれている方、少しでも明るい気持ちになりたいと思っている方とお話しできたら嬉しいです。私が話すこともできますし、お話を聞くのも好きです。講演とはなっていますが、気楽におしゃべりしましょう。 〜闘病歴〜 2019年秋 近所の婦人科に行く 大きな大学病院を紹介される あれよあれよとストマの方向で手術の話が進む セカンドオピニオンで病院2軒回る 2020年2月 築地 国立がんセンターにて外陰部部分切除 リンパ郭清手術 3週間の入院(懇願しドレーンをつけたまま退院) 2020年 蜂窩織炎で4回入院(がんセンター) 2021年 蜂窩織炎は地元の病院で見てもらえるように紹介状をもらう 2024年 3年ぶりの蜂窩織炎 ついにLVAを決断 現在 がんセンター定期受診@がんセンター リンパ浮腫経過観察@地元の総合病院 女性ホルモン治療@近所の婦人科 家族構成:夫、娘2人(現在小4、小6) 【パリコさんのブログ】 人生はジェットコースター(外陰がん闘病録) https://ameblo.jp/apricot-child-0218/ ●対応可能な曜日と時間帯 平日10:30〜15:00、土曜日夕方以降 関連ワード:外陰癌、外陰がん、外陰ガン この未来アドバイザーとセッションをされたい方は ↓下部にある「カートに入れる」ボタン↓を押して下さい。 ※セッション時間はzoomで40分となります。顔や本名を出す必要は一切ありませんのでご安心ください。 ※ご購入後に、セッションの満足度を深める為のヒアリングシートをメールにてお送りしますので、セッション希望日時と併せてご返信願います。 ※ヒアリングシートをご返信いただきましたら、希望日時の範囲内で設定されたzoomのURLを運営事務局からお送りします。 ※未来アドバイザーは自らの体験はお話できますが、法律相談や医療行為のアドバイスはできません。 ※未来アドバイザーを理不尽に責め立てる又はそれに類似する行為をされた場合はセッションを中止する場合がございます。その際は返金いたしませんので予めご了承願います。